![]()
縄文東北人の「放浪型」DNA
藤原作弥
私は東北で生まれ育った生粋の縄文型東北人である。「平泉・藤原三代に関係のある由緒ある家柄ですか」とよく聞かれ、いわくあり気に曖昧に答えることもあるが、実は、先祖は秋田県は田沢湖畔・生保内村の郷士で、祖父の代に仙台に出てきた。祖父は長らく地元仙台の河北新報で主筆(論説委員長兼編集局長)をつとめたあと、晩年は歴史学者として著述活動に専心した。
その孫である私が祖父に似た軌跡を辿ったのは、“血”のなせる業だろうか。時事通信社で長らく記者生活を送り、現在は解説委員長。かたわら満州体験をいかして昭和史を題材としたノンフィクションを書く──という二束のわらじを履いている。
ジャーナリストの道を選んだのはもちろん、尊敬する祖父に憧れてのことだが、反面、父から受けた放浪癖の影響による。父は高校の国語教師。「広辞林」で名高い金沢庄三郎博士について駒沢大学で比較言語民族学を学んだが、特に興味を持ったのが、シャーマン(巫女)の口寄せ(お告げ)の言語分析。仙台、盛岡、秋田……と東北各地の旧制中学を転々としながら、フィールド・ワーク(探訪調査)を続けた。
やがて病は膏肓に入り、日本語と同じアルタイ語族言語(朝鮮語、モンゴル語など)のシャーマニズムとの比較研究に手を拡げ、一家を引き連れ、北朝鮮、内モンゴルまで足を伸ばした。その放浪癖の血を継承したせいか、その子の私も本業のかたわら毎年のように、旧満州やモンゴル地方に取材に出かけている。
旧満州は現代中国の〈東北地方〉、モンゴルも欧米から見れば世界地図の〈東北地方〉。日本の東北人である私は海外でもなぜか〈東北地方〉に魅かれてしまう。そういえば、本業でも、特派員の任地は北米大陸の〈東北地方〉(カナダ・オタワ、アメリカ・ワシントンDC)ばかりだった。
※ 以上は私事にわたる個人的体験だが、東北人全般についての放浪性はどうか。
作家の西木正明氏によれば、人間を「定着型」と「放浪型」にわけると、東北人には一般に思われている以上に「放浪型」が多い、という。西木氏は『凍れる瞳』で直木賞を受賞したが、自身が放浪的冒険家。『オホーツク諜報船』『梟の朝』など代表作はいずれも海を越えたスケールの作品である。
西木正明氏とは東北経済連合会の「十和田文化圏研究会」で同席した機会に知遇を得た。ペンネームの「西木」の由来は秋田県は田沢湖畔「西木町」から。私の祖父の出身地のお隣である。同じルーツの縄文的放浪型東北人ということで懐かしさを覚えた。
その西木氏から改めて縄文東北人論を拝聴したのは、東北にゆかりある作家をゲストに迎えた「東北に関する座談会」の席上だった。その座談会は東北電力の企画によるもので、同社地域交流部の阿刀田博明氏から参加を奨められた。
「阿刀田」という名前にも聞き覚えがあった。話をしてみると祖父・藤原相之助(非想庵)と共に郷土誌「東北民俗研究」の同人だった碩学・阿刀田令造氏(旧制仙台二高校長)の令孫と判明した。「東北に関する座談会」の発想者にも縄文東北人の血が流れていたのだった。奇縁である。
奇縁といえば同座談会のゲストの一人の常盤新平氏との因縁は仙台における向う三軒両隣の関係だった。わが家の住所(当時)は仙台市北五番丁192番地、常盤家は同195番地。私が物心ついた時、常盤新平氏はもう上京しており、「早稲田大学にいった常盤さんちのお兄さん」はすでに神童伝説の人だった。
常盤氏は『ファーザーズ・イメージ』の中で「税務官吏上がりの田舎者の父が恥ずかしかった」と書いているが、私たちヤロッコ(野郎っこ)は悪戯をしてはいかめしいお父上によく叱られたものだった。
直木賞受賞作『遠いアメリカ』の中で常盤氏は、東北の貧困、因襲、方言……など「田舎者コンプレックス」から抜け出すべく、ハイカラな東京に出て英米文学に親しむようになった半生を述懐しているが、そのコンプレックスは東北に対する郷愁や愛着の裏返しである。私も自らのアンビバレント(愛憎併存)な東北人心理と放浪の歴史を振り返ってよく判る。
そういえば「東北に関する座談会」のもう一人のゲスト、高橋義夫氏の作品『狼奉行』(直木賞受賞)、『北緯50度に消ゆ』などにも典型的東北人が登場する。高橋氏も同座談会で、中国大陸や朝鮮半島までを視野に入れた北日本海沿岸の文化交流を目指した「渤海倶楽部」構想にふれて、東北人の中には「放浪型」的冒険心と「定着型」的愛郷心が同居することを指摘していた。
一関市出身の内海隆一郎氏にもゲストに加わっていただいた。お父上は九州のご出身で、一関に居を移した時は「北辺の地への都落ち」の思いが強かったとのことである。しかし、内海氏ご自身は一関での生活が膚に合っていたようで、「人びとの光景」「懐かしい場所」などに収められた作品の多くが、舞台を「ふるさと一関」においている。一関は盛岡や仙台と並んでバンカラ気風の強いところである。バンカラとは「精神的放浪」の一典型であり、それが許容されるのが東北なのであろう。
都会の閉塞感にさいなまれた時、人々は精神的放浪の旅に出る。彼等が辿るのは北辺への道である。鮭を見に。
※ 東北人は田舎から都会へ脱出する。さらには海外にまで雄飛することもあるだろう。しかし、必ずや「定着型」の帰巣本能もだし難く回帰するのである。物理的に帰郷できない場合でも石川啄木のように、少なくとも心理的にはふるさとを遠きにありて深く思うのである。
縄文東北人にもそうした「放浪型」と「定着型」の二つのDNA因子が組み込まれていたのだろう。だからこそ壮大な東北人の原型が改めて明らかにされつつある三内丸山遺跡などの新発見に、我々現代の東北人は、ふつふつと血(遺伝子)が騒ぐのを覚えるのである。
【エッセイスト 昭和12年仙台市生まれ 「聖母病院の友人たち」
で日本エッセイストクラブ賞受賞「李香蘭私の半生」他著書多数】