恐山といえば、いたこの「口寄せ」が全国的には有名であるが、その歴史は意外に浅く一説では昭和に入ってからともいわれている。 菅江真澄が下北半島を旅した際に綴った『奥の浦々(おくのうらうら)』にも、いたこの記述があるが、それは医療のまじない、うらないをする人であったようだ。



菅江真澄(1754-1829)
東北地方を旅し多くの日記を残す。『真澄遊覧記』は当時の庶民生活をうかがい知る民俗学的史料として価値が高い。 出身は三河国(いまの愛知県豊橋市付近)であったが、1783年に旅に出てから1829年に角館(秋田県)で没するまで再び故郷に戻ることはなかった。