仙台のアメリカ


  ●初めて買った英文雑誌「ライフ」
 ニューヨークに生きる日本人を描いた小説『ニューヨーク遙かに』で、常盤さん自身がモデルとなっている登場人物、大原にこう独白させている。

 戦争に負けたあと、仙台の街に米兵がやってきた。近くに米軍の基地ができて、米兵についてまわる、かたことの英語しか話せない日本人の通訳が増えた。当時中学生だった大原にも聞くに堪えない英語だった。米兵にむらがる自称通訳たちを大原は軽蔑した。
 英語を話すことが恥ずかしいことに思われた。大原はそれまでまっとうな英語を映画以外で耳にしたことがなかったのだ。
 英語を話すというよりも、早く読めるようになりたかった。それに、いまにしてわかるのだが、臆病なくせに興奮しやすい大原は話すのが苦手だった。口下手はいまもつづいている。


「終戦の年、私は中学2年生でした。8月15日が過ぎて、アメリカのグラマンが飛んでくるのを屋根に上って見ていたことを思い出します。低空飛行でね、私が手を振ると翼を揺らして応えてくれるんですよ。
 戦争を体験した作家の中にはコカコーラを飲まないという人もいるようですが、私にはそれほどアメリカに対する拒否反応はないですね。
 仙台の米軍基地で友だちと一緒にアルバイトをしたこともあります。掃除やレンガ運びですね。仙台駅に集まって、何列にも並び、トラックの荷台に乗って基地へ行くわけです。
 結構、仕事はきつかったですね。働き手は中学生も大人もいましたが、我々に対しても米兵は厳しかったですよ。よく怒鳴り散らしていました。日給は英語の参考書が1冊買えた程度でしたから、いまの1500円くらいでしょうか。
 ただ基地の中でBGMとしてアメリカのいろいろな音楽が流れていたのが記憶に残っています。
 私の5番目の兄がギターをやっていたのですが、アメリカ人が習いに来ていましたね。兄はコントラバスも弾いて芸術家気取りでした。
 もう一つ思い出すのが仙台の色町で酔っぱらったアメリカ人がナニを出しながら歩いていたことですね。さすがにアメリカは大きいと思ったものです(笑い)。
 アメリカの本や雑誌に触れたのもこの頃です。私自身が初めて買った英文雑誌は「ライフ」。敗戦の翌年の1月か2月頃に仙台の丸善で並んで買ったのを覚えています。カラー印刷がきれいだったですね。そのとき友だちは「タイム」を買いました。初めて触ったアメリカの本は『Men of Science』、科学者伝のようなものですね。
 3番目の兄が東京からやってくる本のかつぎ屋から「世界」や日本版「リーダース・ダイジェスト創刊号」をよく買っていたので、本や雑誌が好きになったのは、この兄の影響かもしれません。
 雑誌だけでなく、鉱石ラジオを買ってFENを聞いていましたから、英語に対する興味はあったのでしょう。英語を本格的に勉強するようになったのは中学3年生の2学期からです」

 常盤さんのエッセイ集『そうではあるけれど、上を向いて』の「仙台の本屋」にはこんな文章が載っている。

 いまでもおぼえているが、天気の悪い日で、丸善の前には「ライフ」や「タイム」を買う人の行列ができていた。私たちも並んだのは、たぶん物珍しさからだろう。買った「ライフ」を見たかどうか、そのへんのところはどうも曖昧である。
 読めないくせに、外国の雑誌を買ったのは好奇心と虚栄心があったからにちがいない。その好奇心があったから、のちのち、翻訳などという仕事をするようになったのかもしれない。「ライフ」を買ったことは私にとっては大事件だった。いまの中学生や高校生にとっては、それは何でもないことだろうが。
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