| |
| ●アメリカという美人に片おもい 「英語への興味が湧いたのは高校時代の英語の先生たちの影響も強いですね。特に高校3年のとき、O・ヘンリーの『賢者の贈りもの』を題材に教えてくれた佐伯先生の授業がとても面白かったです。 山家(やんべ)先生という人の英会話もまた見事でした。英語の先生にはかなり恵まれたと思います。仙台の学校では毎日、英語の授業がありましたが、英作文も英文法も、優秀な先生たちが多かったと思います。 映画もまた海外に目を向けるきっかけになりました。映画はフランス、アメリカ、日本に限らずすべて見ていました。大映の3倍泣けるなんていう「母もの」まで見ていましたから(笑い)。娯楽は映画しかなかったですから、毎日見ていたんじゃないですか。映画を見るには学校の許可が必要だったですが、そんなものはお構いなしでしたね。 当時はアメリカよりフランス映画にあこがれていたものです。というのも女優がきれいでしたからね。仙台には美人がいないので、映画で見るしかなかったわけですよ。 『よろめき休暇』や『秘めたる情事』に出演したスージー・パーカーというアメリカの女優が洗練された都会的な美しさで私を虜にしたが、やはり好きな女優がいるとその国がすきになるものです」 『そうではあるけれど、上を向いて』の「昭和ヒトケタのアメリカ」には常盤さんのアメリカへの思いが凝縮されている。 コカコーラもクリーネクスもピッツァも言葉では知っていたが、それまで実物を見たことがなかった。アメリカは私にとっては、まず言葉があったのである。それからだいぶたって、現物がやってきた。 (中略) アメリカへのさまざまな思い、それは要するにアムビヴァレンス(愛憎)なのだが、これは私に一生ついてまわるだろう。ただ、それは私ひとりの経験だろうと思う。広く言えば、私たちの世代の経験かもしれない。私より若い人たちはいとも簡単に英語を話している。アメリカを当然あるべきものとして、当然行ける土地として、彼らは受けいれている。彼らの頭には、アメリカがおもしのように重くのしかかってはいない。 なぜイギリスやフランスじゃなく、ロンドンやパリじゃなく、アメリカやニューヨークなの、ときかれたことがある。そういうとき、冗談に答えてみた。会っちゃったんだよ。好きになっちゃったんだよ、しょうがないだろう、と。それが一生を決めちゃったんだよ。 常盤さんはこのエッセイでアメリカは女のようなもの、しかも高嶺の花でいつも片おもいだったと書いている。そしてその高嶺の花はまだ謎に包まれており、「その謎は困ってしまうほどに美しい」という。 まさに「好きになっちゃったんだよ、しょうがないだろう」ということだ。 |
トップページ |
前ページ | 次ページ | |||