あこがれの東京へ


  ●初めての東京でロング・スカートに感激
 将来、隠居するなら海と山とどちらがお好きですかと唐突に質問すると、常盤さんはしばらく考えてから、
「町中がいいですね。田舎育ちだから田舎が大嫌いです。エー、エー、蚊とか蛇とかいるんでね、嫌ですよ。だから東京、それも下町がいいですね」
 常盤さんがあこがれの東京へ初めてやってきたのが高校2年のときだった。

「昭和24年の春、高校2年が終わったとき、友だちと一緒に初めて東京へ行きました。女の子がきれいでしたね。一緒に行った友人は河北新報の社長の息子で決して貧乏ではないのですが、それまで靴を履いたことなどなかったのです。学校でも素足でしたから。それで足が蒸れてしまって二重橋の近くで靴を脱いだことを覚えています。去年、その親友も亡くしてしまいました」

 『ファーザーズ・イメージ』の「わが町」で初めて東京へ行ったときのことを常盤さんはこう書いている。

 それが昭和二十四年の春である。それ以前から私は東京に行きたいと漠然と思っていた。春休みに親しい同級生とはじめて上京した。夜行列車に乗り、朝の七時ごろ上野駅に着いたのをおぼえている。
 東京ではロング・スカートが流行していた。日比谷公園に行くと、五つか六つの女の子までロング・スカートなので、私はわけもなく感心した。よし、早稲田に合格すれば、ロング・スカートの女の子がいる東京に住める、あの泥くさい親父からも逃げられる、歌手になりたかったことや寝小便のことを知っている人間もいなくなると思った。

 こうして常盤さんは東京大学から大蔵省に入ってほしいという父親の期待を裏切って、早稲田大学文学部に入学し、麻雀とペーパーバックの生活にどっぷりと浸かった。
トップページ
トップページ
  前ページ
前ページ 次ページ 次ページ