●惨めさと誇らしさを感じるニューヨーク お台場海浜公園には現在、日仏交流のシンボルとしてフランス政府から貸し出された自由の女神像が建っている。ニューヨーク市に贈られた女神像よりはずいぶん小型だが、形は全く同じこのブロンズ像は99年6月中旬まで優美な姿を見せてくれる。女神像を見つけた常盤さんは意外な表情で「おや、自由の女神がありますね」と語った。 「ニューヨークを歩いていると、20歳の頃の惨めな気持ちがよみがえってくる。自分は最もニューヨークにふさわしくないのではないか。お前が来るような場所ではない、といわれているような感じがします。何歳になってもその気持ちは変わりませんね」 『そうではあるけれど、上を向いて』の「誇らしくもあり」の中で常盤さんはニューヨークについてこう書いている。 二十代のころ、東京のどこを歩いても、無縁のように思われた。歩いている本人がその場にふさわしくないのである。誰にも相手にされないのが腹立たしくもあり、しかし、嗤われても当然だという諦めもあった。 マンハッタンを歩いているときも、まさに同じなのである。ちがっているのは、昔はやせていたが、いまはふとっていることだ。翻訳家になった理由や動機はいろいろあるけれど、その一つは、翻訳が原稿用紙のますめを埋めていれば、口をきかないですむということだった。 (中略) けれども、ヴィレッジのはずれあたりをひとり歩きしていると、惨めな気持ちと誇らしい気持ちが交錯する。あんなに臆病なのに、こんなに大胆なことをしているという気分。若いころは旅行嫌いだったのに、いまは時差が半日もある遠い、遠いくにへ来てしまったという頼りない気持ち。 これは、東京にはじめて出てきたときに味わった、恥かしい、気持ちである。この年齢になって、若いときと同じ気分になるとは、ああ、有難いと思う。 常盤さんが初めてニューヨークに恋したのはアーウィン・ショーの短編「夏服を着た女たち」を読んだときだった。 「自分に全然ないものがそこにあった。しゃれていると思いました」と常盤さんは語る。 直木賞受賞後の2作目に書いた『おふくろとアップル・パイ』(講談社文庫『遠いアメリカ』に収録)ではこの作品についてこう書いている。 「夏服を着た女たち」をまた読みはじめる。なんども読んだので、半分暗記しているし、頭のなかに訳文も少しできている。中年の倦怠期にさしかかった夫婦の物語。 (中略) ソフィスティケーテッドだ、と重吉はつい思ってしまう。スージー・パーカーに共通するかろやかなものがある。なんでもないおはなしなのに、洒落ている。(後略) また『ファーザーズ・イメージ』の「ステッキとカンカン帽」の中でも、この作品が常盤さんに与えた影響の大きさをこう表現している。 翻訳家になろうとしたのも、こういう絆を断ち切りたかったからではないかと思う。アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」を読んだとき、翻訳家になりたいと思ったのだが、この短編小説はじつに洒落た都会小説であり、私自身から最も遠い世界だった。 「夏服を着た女たち」の対極の世界が東北であり、父親だった。常盤さんは東北的なものからかけ離れていると思ったニューヨークに興味を持つようになったのである。 |
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