11.厳美渓(げんびけい)















父が一時支配人をしていた渓泉閣
父が一時支配人をしていた渓泉閣

●奇岩で有名な名勝地で優雅な旅館生活
 一関の中心地から磐井川をさかのぼって車で15分ほど行くと、2キロに渡って美しい渓谷が続く名勝天然記念物、厳美渓が現れる。
 エメラルド色の水と凝灰岩が浸食されてできた奇岩、紅葉に彩られた木々が織りなす風景は名所と呼ぶにふさわしい。もう一つの見所は激しい水流によって、小石が岩の割れ目やくぼみで激しく回転し、岩場にぽっかりとできる丸い穴(甌穴)である。
「急流に落ちるとこの甌穴にはまって出られなくなってしまう」(内海さん)という話を聞くと急に怖くなってきた。
 厳美渓の名物が「郭公だんご」だ。渓谷の向こう側にあるだんご屋と観光客の集まる手前側が縄でつながれており、木槌で板を叩いて注文する。店が籠に入れたおカネを回収すると代わりにだんごを入れた籠が戻ってくる仕組みだ。ゴマだんごが絶品だった。
 内海さんの父親は亜炭鉱山の閉山に伴って、町の有力者の紹介でこの厳美渓の観光旅館、渓泉閣の支配人に収まった。いまでもこの旅館は健在である。
 高校卒業後、志望の獣医大学に合格した内海さんは上京していたが、経済的に行き詰まって学業を断念し、半年後に一関に帰ってきた。舞い戻った内海さんと両親は旅館近くの民家の離れ、8畳1間を借りて移り住んだ。
 旅館の番頭や仲居さんと一緒に食事をし、過ごす時間は内海さんにとって楽しく刺激的だったようだ。板前さんは夜食を作ってくれたし、番頭さんは体験的猥談を披露してくれた。仲居さんからお菓子や果物をもらって誘いの言葉をかけられもした。
「ウブな小生にとっては刺激的にして頽廃的な、文字どおりの温泉気分に浸った毎日であった」と内海さんは雑誌のエッセイに書いている。
 読みたい本を一関市立図書館から借りて、来る日も来る日も厳美渓の岩場で読書に耽っていた内海さんの前にある日、30歳前後の女性が現れた。ただしロマンスの香りはなく、その女性はどことなく不安定な感じで、じっと急流を見下ろしては、ふいに消えるということを繰り返していた。
 実はその女性は幼い我が子が急流の甌穴にはまって亡くなったことをきっかけに気が触れてしまっていた。その後、秋風が冷たくなって岩場の読書をやめていた内海さんに急な知らせが届いた。その女性が急流に身投げをしたというのである。すると、内海さんの姿が見えなくなった頃を見計らって飛び込んだのか。この印象的なエピソードは『丹塗りのぽっくり』の「渓流」という作品にある。


●大切にしていたいシンヤ君のイメージ
 厳美渓にまつわるもう一つの印象的な話が同じ本にある「バス停」だ。
 両親が離れを借りている家の息子である小学校4年生のシンヤ君は根っからの本好きで、内海さんになついていた。内海さんは図書館に本を借りに行く度、シンヤ君向きの本も借りてきて、毎日のように一緒に読書をしていたという。
 ところが、ほどなくして内海さんの父親が旅館の支配人を辞し、一関市内へ戻ることになった。シンヤ君は哀しみ、転居後、しばらくして内海さんの元へ遊びに来た。喜んだ内海さんはシンヤ君を新しいデパートの食堂や図書館に連れていった。
 しかし別れ際シンヤ君は、楽しかったけど、お兄ちゃんのそばで本を読んでいたかったとぽつり漏らす。何とナイーブで哀しいぐらいやさしい少年だろうか。その後、シンヤ君に会ったのかと内海さんに尋ねると……。

 「シンヤ君のその後をたどるのが怖い。私の持っているイメージがずれてしまうような気がします。同様に親しかった人が死にかけているからといって私は求めて会いに行きたくない。その人の元気なときの姿を大切にしたいからなんです。お葬式も基本的に行きません。その人が私の頭の中で生きていれば供養になると思っています」


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