「伝統民族文化の継承と支援」―日本文化の創造と地域の創造―  目次  前項  次項
序論 日本の文化状況における伝統民俗文化
 
2 伝統民俗文化の意義

 明治以降の我が国の音楽、文化をめぐる状況は、程度の差こそあれ、その当時から基本 的にはほとんど変わっていないというのが実状であろう。しかし、近年こうした状況に 少しずつだが変化の兆しが見え始めている。


■ワールド・ミュージックから伝統へ
 その一つは、「ワールド・ミュージック」という形で世界各地、特に西ヨーロッパやア メリカ以外の地域の民族音楽の類が世界的な規模で聴かれるようになったことである。 これまで「民族音楽」というと兎角マニアックな趣味や研究の対象としてしか扱われて いなかったものが、とにかく全世界に流通し、一般の人々に構えることなく聴かれるよ うになったことは大きな変化といえよう。ただ、これには若干の批判もある。これまでの「民族音楽」という固有の音階と楽器に よって演奏されてきたものが、西洋の電気楽器の使用や音階の変更によってポピュラー 音楽的な構成にある程度一般化され、枠に括られることで音楽産業の流通機構に乗るこ とになったのが「ワールド・ミュージック」だという指摘である。確かにそのような面があることは否めないが、それ以上に、西洋文化だけが文化ではないということ、非西洋諸国の文化の存在とその豊かさが確認され、対等に近い形でそれを広く一般に知らしめたということを積極的に評価すべきである。また、それが窓口になってより民族色の濃い音楽への理解の布石になるかもしれないし、世界的注目は各地での音楽活動を活性化し、より層の厚い基盤を作りだす可能性もある。
 このような流れを受けて、日本の音楽界においても、メジャーな音楽家が各地の民族音 楽とともに日本の伝統音楽や沖縄の民謡の要素を取り入れた新しい試みを展開したり (ex 坂本龍一、細野晴臣など)、純邦楽の若手が流派やジャンルを越えたコラボレーションを実践したり(ex 一噌幸弘〔能管〕、大倉正之助〔大鼓〕、本條秀太郎〔三味線〕など)、従来の民謡に現代的な要素を加えたアレンジのプロデュース(ex伊藤多喜雄、知名定男、ネーネーズなど)等の動きに代表されるように、日本の伝統音楽への見直しが行われている。と同時に、それを受け入れる聴衆という土壌を醸成しつつある。また、鼓童(佐渡に拠点を置く和太鼓アンサンブル)に代表されるような近年の和太鼓 ブームは若い世代の参加の契機にもなり、各地の太鼓グループの再興や新規の結成を促 し広がりを見せている。
 特に、これまで日本の伝統音楽に見向きもしなかった若い世代の人々がこうした形で興味を抱くようになったのは、「ワールド・ミュージック」というフィルターを通してこそ可能になったともいえる。国際化の時代にあって、世界レベルで評価される日本の音楽が逆輸入のような形で流入したことが逆に新鮮な感覚で受け入れられることにもなったのであろう。また、毎年一千万人以上の人々が海外に旅行する現在、行く先々で触れる異文化に対し、自らの文化的アイデンティティの希求が自国の文化への見直しを促したという側面もあるだろう。

■生きづく伝統文化
 言語の構造が文化そのものであるように、音楽もまた優れて文化的所産であり、長い間 に培われたものはそう簡単に忘れられるものではない。明治以降百年に渡る西洋音楽教 育にも係わらず、我々は未だに日本的音楽の感覚を保持している。子供たちは今でも昔 ながらのわらべ歌の音階(ラドレの音階)で歌っているし、西洋のポピュラー音楽の要 素が強いと思われている歌謡曲もこの音階によって構成されている場合が多く、我々は知らぬ間にそれらに親しんでいるのである。また、明治期の西洋音楽の移入に際しても、日本人はどうしてもファとシの半音が歌えず、これを抜いた音階(ドレミファソラシドの四番目と七番目の音を抜いた四七〔ヨナ〕抜き音階)を作っている。この音階はスコットランド民謡等にも共通する部分が多く、ハーモニーも付け易いことから、唱歌や童謡に多く使われることとなったが、何よりも日本人にも馴染み易く、短音階におけるヨナ抜きは現在の演歌のほとんどに使われている。
 アルフレッド・シュッツからP.L.バーガーにいたる現象学的社会学において、現代 人のアイデンティティ喪失の危機と社会からの疎外の現状を「故郷喪失」という概念を 用いて説明している。それによると、「故郷(ホーム)」とは「出発点であり、到達点 である。それはわれわれが世界の内で自分が置かれている位置を見いだすために置く座 標系のゼロ点である」(アルフレッド・シュッツ 『現象学的社会学』1970年)としている。この座標系を構成する軸とは即ち、時間的継続によって構成されるタテの軸と、他者を始めとした関係性によって構成されるヨコ軸を指すものと考えられる。「文化的分裂症」と指摘され、手本なき時代にその方向性を問われている日本の文化的状況にも同じようなことが当てはまらないだろうか。
 先に触れた「ワールド・ミュージック」から日本の伝統音楽の見直しに至る流れもこの フレームに沿うものと考えられる。音楽史的に見てもクラシック音楽は19世紀末に頂点を迎え、その後は現代音楽という試行錯誤の段階に突入したままである。これに変わって興ったのがジャズやロックを始めとするポピュラー音楽だが、ジャズは50年代にピークを迎えその後間もなく行き詰まり、ロックもビートルズを頂点に後はその焼直しでしかない。 そしてビートルズがいみじくも60年代後半にインド音楽への傾倒という形で先見したように、今まさに「ワールド・ミュージック」という形で民族とその伝統に根ざした音楽が台頭してきている。明治以降の文化的断層とその不連続性に対する新たな方向の問い掛けは、もはや外部に求められるものではなく、必然的に我々の内部に向けられている。その意味で、「伝統」とはまさに時間的連続とその「プロセス」であり、そこにこそ我々の全体性と連続性の回復への契機があるのではないだろうか。
 そしてこの連続的「プロセス」が伝統であり、その意味において、現在は伝統の最先端なのである。

■あらゆる文化の基礎は地域の伝統文化
 伝統はそれぞれの地域に存在する。それぞれの地域に生活する人がその風土のなかで異 なった文化を形成してきているのであり、それを全てに大切にしなければならない。そ れは日本国内だけのことでなく、国際的にも通じる姿勢である。
 すでに伝統文化は自分たちの中にはないと考えている人も多いであろう。しかし、実は体内的に自然の内に身につけているのである。例えば、音楽を教育されていない幼児がわらべ唄を歌う時には自然に音階をつけ、リズムを取っている。それは自然に伝統的な音楽を継承しているものとなっている。
 地域の伝統文化に対して特殊なものという感覚がある。しかしそれは誤りであって、その地域において最も自然な形での文化の表現なのであり、その最高の形なのである。
 例えば、山村、沿岸部、農村、それぞれのリズムや体の動きの緩急、発声の長短など皆異なるのである。それはその文化が生活様式の投影であるからであり、それこそが伝統文化なのである。
 こうした地域の伝統文化はもっと自信をもって強調されるべきであり、それが、固有の文化を産みだしていく源なのであるということが認識されるべきである。

■伝統の創造
 このような我々内部への問い掛けは、ただ単に伝統へそのまま回帰することを意味する わけではない。これまで伝統文化というと過去の遺産であり、「伝統の保護」という形 で行政を中心に行われてきたものは、「保存」という現状の凍結作業でしかない。有形 の文化財はいうまでもなく、無形の音楽や芸能をも文化財というラベルを張り「現状の まま」という固定した形(動物でいえば剥製状態か檻に入れた形)で無形の博物館に収 蔵することしか意味しない。そこではもはや音楽や芸能は死んでいるのである。野山を自由に駆け回り、永い年月を経て進化を遂げる動物こそ本来の姿であるように、音楽や芸能も人々に歌われ、奏でられ、舞われ、演じられてこそ生きた文化として自らを前進させるダイナミズムが宿るのである。子供たちの歌うわらべ歌は同じ節回しに異なった歌詞を自由に付け、遊びというダイナミックな世界で活き活きと歌われ続けているし、掛け歌のような即興的に歌詞をつけ相手とのコミュニケーションを図る創造力が生活の中には息づいていたのである。
 そして、この動物が自由に駆け回ることのできる野山などの環境こそ生活の場そのもの であり、動物が草木を食べそれを排泄し、それがまた草木を育てるという自然との交換 の法則、関係の仕組み=システムであり、この「システム」の継続の「プロセス」こそ 「伝統文化」である。この「システム」と継続の「プロセス」をいかに現在の我々一人 ひとりの生活に生きた形で取り戻しうるか。この動きに対する支援が、今求められてい る「文化支援」の形ではないだろうか。

■伝統民俗文化
 伝統文化の内、特に伝統民俗文化という『民俗』を重視するのは、その生活や地域との 密着性を重んずるからである。伝統芸能や民謡においても、そもそもはある特定地域の 民俗文化であっても、それが流行りとして広まり、芸として独立した舞台芸術となった ものが多数ある。それらは、地域との関係が絶たれ、演じる専門家が発生し、その専門 的な芸を一般の人が楽しむという構造を形成していく。それらの芸能や唄は地域の経済 で成立するのではなく、観客からの収入か、もしくは芸に対する庇護者からの収入で成 立するものとなる。
 このような伝統文化も今日に数多く継承されているが、ここでは、生活に根ざし、地域 に根ざし、演じる側と享受する側が同一平面にいて、相互性のある伝統文化、地域の一 人ひとりが支える文化に注目するものである。
 それは、このような一人ひとりの創造性に基づく文化が、地域の重要性、コミュニティの重要性が指摘される高齢化社会、成熟社会において、重要な役割を果していくと考えられるからである。それだけでなく、それぞれに固有なものであるが故に、その多彩な創造性が日本の舞台芸術に対しても大きな創造的影響を与えうるものなのである。


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