「伝統民族文化の継承と支援」―日本文化の創造と地域の創造―  目次  前項  次項
本論 伝統民俗文化の継承と支援
I 東北地方の伝統民族文化の継承の現状
3 ケーススタディ
b)秋田県鳥海町の本海流獅子舞番楽

鳥海町 本海流獅子舞番楽 資料映像
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はじめに

 秋田県鳥海町には「本海流獅子舞番楽(ほんかいりゅうししまい・ばんがく)」と呼ばれる民俗芸能が伝承されている。鳥海山は、出羽地方の修験者の道場であった。寛永年間に京都の三宝院に属する修験者で芸能に優れた僧本海が鳥海山の村に獅子舞と番楽を伝えたといわれている。鳥海町ではこれを「本海流獅子舞番楽」として今日まで伝承してきた。

獅子舞

昭和39年には、「本海番楽」として秋田県無形民俗文化財第6号に指定された。修験的な行事を取り入れた獅子舞と、舞台芸能の番楽からなる。地元では「獅子舞と番楽」「獅子舞番楽」「獅子舞・番楽」などと書いているが、いずれも同じものを指す。演目には獅子舞7番、式舞7番、神之舞8番、武士舞12番、女舞7番、はんど舞7番の合計48番がある。伝承者の団体は「講」或いは「講中」と呼ばれ、現在では下百宅(しももやけ)・上百宅(かみももやけ)・上直根(かみひたね)・中直根(なかひたね)・下直根(しもひたね)・前ノ沢(まえのさわ)・猿倉(さるくら)・二階(にかい)・興屋(こうや)・天池(あまいけ)・平根(ひらね)・八木山(やぎやま)・提鍋(さげなべ)の13の講中で伝承している。

番楽

ただし、この中で平根・八木山・提鍋については、一旦廃絶し、再興のため雄勝郡西馬音内町鹿内から師匠を呼んで教わったので鹿内系の流れが入ったと言われている。これらの講中以外に、いわゆる神楽系の獅子舞を伝える団体が伏見神楽獅子・貝沢神楽獅子・大栗沢神楽獅子・秋葉獅子と4つある。これを加えると、獅子舞と番楽を伝える団体が合計17となり、県下でもっとも多くの獅子舞番楽を伝承していることから、鳥海町では「獅子舞と番楽の里−鳥海」というイメージコピーで、民俗芸能の伝承発展に力をいれている。
 ここでは特に本海流獅子舞番楽の13の講中に焦点をあてて、その伝承の様相を眺めてみたい。まず、本論に入る前に鳥海町について簡単に述べておこう。


(1)鳥海町の概要

 鳥海町は秋田県の南端に位置し、鳥海山の麓にひろがる。鳥海町役場はJR羽後本庄 駅より31kmのところにあり、町内の公共交通はバス路線である。総面積32,253haの90% 以上は山林と原野で占められている。人口は昭和60年現在8,287人。人口動態は昭和45年に330人減が一番大きく、その後減りかたはだんだん緩やかになっている。これは転出者が減ったためである。年令別にみると生産人口が減り、老齢人口が増える傾向にある。さらに幼年人口の減りかたには、著しいものがある。昭和30年には幼年人口は5,609人だったのが、昭和60年には1,748人に減っている。ここでも、高年齢社会は避けられない現象である。
産業は昭和60年現在、第1次産業では農業に従事している人が一番多く1,998人、次いで林業・狩猟業176人が続く。第2次産業では製造業1,003人と建設業472人、第3次産業では卸売業・小売業266人やサービス業388人、公務123人などが多い。出稼ぎは昭和45年のピーク時に1,607人だったのが、年々減り平成元年には779人となっている。農家は殆ど兼業農家である。耕営耕地面積は昭和45年から少しづつではあるが増えている。町民の社会教育活動は次のような組織によって支えられている。(参考:平成2年度町勢要覧資料編)

老人クラブ       1,341人
鳥海町青年会      60人
鳥海町連合婦人会    864人
鳥海町郷土調査会    58人
鳥海町郷土芸能保存会 個人 58人
           団体  3人


(2)獅子舞番楽の伝承

 鳥海町の獅子舞番楽は鳥海山の修験者の信仰と結び付いる。獅子頭そのものを権現様としてご神体と見なしていた。そのため人々は獅子頭を「お獅子様」と呼んでいる。獅子が舞う場では「四足・二足は御法度」といい、獣類や鳥類を食べることはできなかった。演者のみならず、その場に集う人々みんなが生臭物はいっさい駄目である。このような信仰に支えられて、現在まで伝承が途絶えなかったと考えられる。

獅子頭

 獅子舞番楽は信仰心から続けられる一方、昔は特別な娯楽がなかったために、楽しみのひとつでもあった。正月とか五月とかに番楽をして集落のみんなで楽しんだ。そこでは芸能としての質も問われ、講中ごとに競い会うこともあった。直根地域では、お盆にそれぞれの集落から7頭の獅子がお寺に全部集合する習慣があった。そのときはどこでもよそに負けまいとしてやっていたので、盛大であったという。

■獅子舞番楽の場
 番楽は伝統的には集落の秋祭りや神社の例祭などの年中行事のときに行う。番楽をするときにはまず始めに必ず獅子を舞う。しかし、獅子舞と番楽はいつでも一緒に行われるわけではない。例えばお盆のときの盆獅子のように、集落の家々を回って座敷に上がり獅子を振って舞い、お神酒をいただくというような、獅子舞だけの年中行事がある。 その他、新築の家の火伏せをする柱がらみや講中の師匠の葬式でおこなう弔い獅子、さらに疫病退散、雨ごいなど不定期な行事にも獅子舞は行われる。

柱がらみ

 下直根番楽では虫追いやお盆、そして9月の作祭り(秋祭り)のときに、獅子舞番楽を行う。秋祭りのとき「お初穂」としてご祝儀があがり、それが講中の活動費となる。離れている家は車で回る。家々ではお酒を出してくれるが、最近では演者が少なくなったので交替で舞うという訳にもいかなくなり、お酒を飲んでいられなくなったという。
 二階番楽ではお盆の3日間に二階の集落の家々約60軒を回って獅子舞を舞う。けれども昭和40年頃会館を建ててからは、そこで獅子舞を行い、家々を回ることは止めてしまった。食事などの接待の手間を考えると、会館のほうが民家より気楽だそうだ。

柱にからむ獅子

 お盆のときに「お初穂」としてご祝儀があがり、それが講中の活動費となるのは下直根番楽と同じである。そのほか米一升を集める。これは「おせん米」といわれ、食べると無病息災になると信じられている。

■講中の結束
 獅子舞番楽の伝承団体である講中は、それぞれの集落を単位として作られている。しかし、鳥海町の集落すべてに講中があるわけではない。講中には農家を継ぐ長男だけが入ることができた。下直根では長男は必ず講中に入らなければならなかったという。二階では長男で希望する者から選んで入れた。さらに、次男・三男には番楽を教えてはならないという掟まであった。将来、集落を離れる可能性のあるものに教えると、よそへ持っていかれるからである。そればかりでなく、「盗まれる」というのでよそ者は講中に入れなかったし、番楽を教えることは決してなかった。このように本来講中は結束の強い組織だったといえる。
 これは決して遥か昔の話ではない。昭和40年ごろまで取材や研究にも応じなかったという。41年から鳥海町教育委員会主催の芸能発表会の場で、ようやくテープレコーダーに入れ記録を残すようになった。今日では研究者に開放しようという方向に変わってきている。そして、長男に強制するようなこともなくなった。
 下直根では現在は30人ほどのメンバーがいるが、実際には年度初めの集会である「幕開き」、秋祭り、年度納めの集会である「幕おさめ」だけにしか来ない人もいて、常時活動しているのは10人前後である。ところが最近では、勤めの都合上、下直根から本庄市に移転する伝承者が多く、本庄市のほうに番楽が出来るくらい人材が集まっている。

各講中の幟

 二階では昭和40年代に獅子舞番楽は衰退していてほとんどやらなくなっていたが、最近盛り返してきた。現在講中には中学生が3人いる。彼らだけで「三人立(さんにんだち)」という演目をやる。中学生までに教えておくと身に付くので、これは獅子舞番楽の未来にとって明るいことである。現在は戦後すぐ生まれた世代がまとまって入り、ちょうど40代になって活躍している。
 獅子舞番楽の13講中と神楽系獅子舞の4団体の平成4年度現在の人数を記す(参考:『獅子舞と番楽の里 鳥海』鳥海町教育委員会1992)。上百宅12人、下百宅10人、上直根12人、中直根9人、下直根31人、前ノ沢25人、猿倉11人、興屋9人、二階19人、天池14人、八木山16人、平根14人、提鍋12人、伏見神楽獅子9人、貝沢神楽獅子15人、大栗沢神楽獅子11人、秋葉獅子19人。合計248人にも上る。

■練習
 昔は獅子舞番楽の練習のために師匠の家へ通ったものだという。師匠というのは獅子舞番楽を教える人すべてを指す。演目によって得意とする人が違うので、講中に何人もの師匠がいることになる。それらの師匠達の家では、子供達は見るともなしに練習を見るチャンスに恵まれていた。また、盆獅子のように家々をまわるときにも、その家の子供達は獅子舞を間近に見ている。そのため、正式に講中に加わる年頃以前に、子供達は獅子舞番楽についてすでに体験的に知っているのである。
 教育長の松田訓氏によると昭和41・42年頃は笛にしても、舞にしても、太鼓にしても名手がたくさんいて、村一番になろうという競いがあった。「隣の集落の太鼓に負けねえぞ」ということで、寝ても起きても太鼓の練習をした。例えば、山へ草刈に行くには、朝暗いうちに馬に鞍を付けて、だいたい一時間ぐらいかかるところまで乗っていく。草を刈って馬に付け、馬を引いて歩いて帰る。その道々真っ暗ななかで、番楽のセリフの練習をしたりしたそうである。また、口太鼓(太鼓を声でまねること)を自分で覚えてそれに会わせて、太鼓や踊りの練習をした。
 下直根では昔は農家が多かったが、現在では勤め人が多くなり、残業や夜勤があるので練習時間をとるのが困難になっている。また、行事の当日に会社を休むのも難しい。しかし、建築業など自営業の人は休みをとって積極的に参加している。
 二階では昔は師匠の家で練習したが、現在では会館を使うこともある。特に、伴奏の「拍子」を付けて練習するときは会館でやる。農家といってもほとんどが兼業農家で、勤めを持っていると練習に参加しにくい。定期的な練習はなく、本番の前に練習する。新人の練習は実質的には10日から半月ほどかかるので、本番の1カ月ぐらい前から都合がつくときに練習する。二階では出稼ぎの時期は獅子舞番楽をおこなう行事の時期と重なっていない。そのため出稼ぎで練習量が減ったとか、行事ができなくなったとかいうことはない。

 以上眺めてきたことから、次のようなことが言えるだろう。昔は獅子舞番楽が日常生活のなかに溢れていて、常時身近にあるものだった。しかし、生業が農業から勤めに変わった今日では、まず時間の使い方に違いが出て来る。集落の大多数が専業農家だったころは、農繁期も農閑期もいっしょなので、揃って何かをする時間を取り易かった。ところが、現在のように勤め先がばらばらだと、通勤時間も就業時間も、休日もばらばらになる。ましてや残業や宿直、出張などが入って来ると集落内での足並みが揃えにくい。こうなると時間的空間のなかで生業と表裏一体のものとして、民俗芸能が存在することが不可能になってくる。
 また、民家でおこなっていた獅子舞番楽のうち、獅子舞のほうは除災招福の祈願をするので家々をまわることが続いているが、番楽のほうが民家から会館へと「場」と移すようになる。これは当日の接待など家人の負担を軽くするためである。このように物理的空間のなかでも生活から遊離し始めている。


(3)教育委員会の「しかけ」

 以上述べてきたように、現在では民俗芸能は伝統的な継承方法だけでは時代に対応しきれなくなっている。そこで、松田訓教育長は民俗芸能の伝承のために、講中の外からなんらかの「しかけ」をする必要があり、その役を教育委員会がなすべきであると提唱している。その理念に基づき、鳥海町では今までにいくつかの試みをおこなってきた。 まず、経済的な支援である。これは鳥海町のみでなく、どこの市町村でも程度の差こそあれ、一般的におこなわれてきたことである。鳥海町の場合、獅子舞番楽の講中の恒常的な活動に対して補助は出していない。そのかわり、衣装や道具の更新のためには補助をしている。 しかも補助を出すと同時に、ある程度の助言も与えている。例えば面が古くなったとき、塗りなおすことはやめて新しい面をつくり、古い面は文化財的価値を認め保存するようにさせている。衣装でも、本来の古いものと同じようなものを作るように助言している。しかし、なかなか同じ様な衣装が見つからなくて苦労しているそうである。 新舞踊の衣装のカタログから選ぶと、伝統的な衣装と違って華やかになりすぎる。「はだっこ」という下に着る袖の赤い着物は派手でいいが、それ以外は、本来縞とか無地とか質素なものであった。松田教育長は「獅子舞のカタログがないものだから難しくてね」と笑う。
 また、研究グループを作って解明しようとか、ビデオグループを作って記録をしようという試みもなされている。平成4年8月に鳥海町教育委員会が発行した『獅子舞と番楽の里−鳥海』には次のような項目が載せられている。

 B5版28ページに及ぶこの小冊子は資料として大変価値のあるものとなっている。まず、現状をきちんと把握していて、個々のデーターがしっかりしている。それらのデー ターが「いつ現在」のものなのかがはっきりしている。さらに、引用や転載の出典、参 考文献名、資料提供者などが明記されている。研究者にとってもガイドラインとして大 いに役立つであろう。
 教育委員会ではさらに、伝統的な「場」以外に、獅子舞番楽を演じる場を設けている。講中の間では発表の場があると励みになり、よりいっそう練習に身が入ると好評であ る。これには19回続いているa鳥海町獅子舞番楽競演会と平成2年に始められた獅子舞 番楽鑑賞会の2つの場がある。

■獅子舞番楽競演会
 鳥海町獅子舞番楽競演会は鳥海町 教育委員会と鳥海町郷土芸能保存会 が主催する行事で、平成4年に19回 目を迎えた。先にも述べたように鳥 海町には獅子舞番楽の13講中とその 他の神楽系獅子舞の4団体の合計17 団体がある。その中から毎年出演団 体を募る。参加するかどうかは、そ の団体の都合による。例えば、不幸 があった人は35日ぐらい獅子にさわ れないのでメンバーが足りなくなり、 参加しなかった講中が今年あった。 地元の団体以外にも、鳥海町の芸能 に関係がある芸能を他の市町村から 呼んで特別出演してもらう。演目は あくまで獅子舞か番楽で、1団体に つき1から2演目を披露する。そこ には演技を比較・競争することでま すます伝承を盛んにしようという意 図がある。鑑賞者のほうは一般から 自由参加で、会場の町民会館の大き なホールが埋め尽くされるくらい来 る。地元の新聞河北新報に大々的な 案内記事がでたので、鳥海町以外か らの鑑賞者も大勢いるようだ。町内 から集まる鑑賞者のためバスを特別 に運行して便宜を図っている。入場 料は無料である。プログラムが配ら れる。会場ロビーでは獅子頭の写真 展がおこなわれた。また、開演前の 舞台下には現在使われている「現役」 の獅子頭とすでに使われなくなった 「隠居」獅子の頭が一斉に並べられ、 壮観であった。

獅子舞番楽競演会会場

特別出演の仁井田番楽

天地番楽による「番楽太郎」

 この鳥海町獅子舞番楽競演会は、初期には神社や 小学校や中学校の体育館、トレーニングセンターで 開催された。車がない時代でも見に来てくれた。主 催者側はライトとかマイクを持ち込んでのセッティ ングだったので大変だった。最近では毎年町民会館 の「紫水館」でおこなうようになったので、主催者 側のセッティングもだいぶ楽になり、ビテオで記録 がとれるようなよい状態になったという。

各講中の獅子頭

子供達による番楽「花番楽」

■獅子舞番楽鑑賞会
 もう一つは獅子舞番楽鑑賞会である。これも地元 の伝統的な年中行事ではない。日本青年館や国立劇 場に出演したのがきっかけで、外部から地元で見た いという要請が起こりそれに答えたものである。獅 子舞番楽鑑賞会は平成4年度にようやく3回目を迎 える。こちらは、会場の集落を変えておこなわれて いる。しかも、公の建物ではなく民家を会場にする ところに最大の特色がある。平成4年の鑑賞会は、 たまたま、猿倉の湯の沢温泉に講中の関係者が宿屋 を経営していたので、そこを会場とした。鳥海町教 育委員会が窓口になっている。そして、地元猿倉の 人々の労力と熱意に支えられている。 鑑賞者は限られた人々である。以前 から獅子舞番楽を通して鳥海町と縁 のあった人々に、宿泊や食事などす べてが込みになった一種のパックツ アーの案内が送られる。鑑賞希望者 は前もってこの鑑賞ツアーに参加を 申し込むのである。平成4年度の参 加者33人は東京15人、秋田9人、沖 縄1人、千葉2人、大阪2人、愛知 2人、三重1人、茨城1人という内 訳になっている。全員が大学や研究 所または学会に属する研究者と学生 である。会場が民家のため収容人数 に限りがあり、一般からの自由入場 は無理である。当日は、猿倉の人々 とツアー参加者、そして教育委員会 関係のスタッフで座敷はいっぱいとなった。ちなみ に、宿泊は同じ猿倉にある森林休養センター「ぶな の実」で、鑑賞会の会場まで歩いていける距離であ る。

獅子舞番楽鑑賞会会場

祓い獅子1

祓い獅子2

 鑑賞会は前述の競演会に続いて同じ日の夕方から 開かれる。これは両方の催しを見られるようにとい う配慮から、わざわざこのような日程を組んである。 競演会が終わるとツアー参加者は猿倉の民家へと移 動する。そこでまず、猿倉婦人会の手料理をご馳走 になる。座敷には番楽幕が張られる。その幕の向こ うから演者が次々に登場する。祓い獅子で始まり、 三番叟、剣之舞、山之神と続き、最後はやさぎ獅子 であった。この順番は伝統的な番楽のやり方に従っ ている。さらに、婦人会による七福神大黒舞と秋田 音頭が、そして猿倉人形芝居の師匠による猿倉人形 甚句が間におこなわれた。

三番叟

やさぎ獅子

 鑑賞会の最後には、盛大な懇親会で手料理に地酒 を振舞われ、ツアー参加者はあたかも祭りのために 都会から里帰りしたような楽しさと満足感を味わっ ていた。

秋田音頭

懇談会風景

 競演会と鑑賞会はその性格がかなり異なるので、以下に表で比較しながら分析を試みた。競演会はあくまで地元の人々が対象である。講中の発表の場であり、そこは講中相互の技量を競う場にもなっている。また、楽しみの場でもある。鑑賞会のほうは、今の ところは外部の研究者を対象としている。「本物の行事に近い状況で」獅子舞番楽を鑑 賞したいという希望に添ったものである。そういった意味では、研究者というよりむし ろ獅子舞番楽のファンといったほうがよいかもしれない。講中にとっては張合いのある 発表の場になっている。また、講中だけでなく地元の人々を含めた懇親会にも重点がお かれている。この懇親会を通して、ファンは同時に獅子舞番楽だけでなく、地元鳥海町 の応援団にもなっていくといえる。


(4)新しい伝承の試み獅子舞倶楽部

 鳥海町ではふるさと創生事業の一 つとして平成元年「伝統文化の継承 と創作」が企画された。「本海流獅 子舞」を伝承保存するとともに、本 海流の特徴を生かした「新たな獅子 舞」の創作をおこなった。伝統的な 要素を生かすために、まず本海流獅 子舞を分析し、それに基づいて、子 供から大人まで舞える獅子舞をつくった。そして「獅子舞倶楽部」が誕生することになる。獅子舞倶楽部には4つの町立小学校の4年生以上の生徒と3つの町立中学校から公 募した。一頃は100人を越えたこと もあるが、平均70人から80人くらい 参加している。最初は太鼓から練習 する。参加者が大勢なので、太鼓の 数が足りなくなり、ダンボール製の りんご箱を叩いて練習した。最初は 基本の太鼓を練習し、太鼓ができる ようになったら、舞や笛に入る。一 人一人が楽器も舞いもすべてできるように練習している。歌も笛も太鼓も舞もすべて子 供達だけでする民俗芸能というのはそうざらにない。生涯学習の発表会のときに子供の 獅子舞をおこなう。大人の獅子舞番 楽競演会の時には出演しないが、子 供たちには見学させている。最近で は、学校の文化祭の時に獅子舞をや るようになった。

練習風景1

練習風景2

練習風景3

 学校では窓口になる担当の先生は いるが、スクールバスでの送り迎え を含め、すべてのプロデュースを教 育委員会でおこなっている。このよ うに獅子舞倶楽部には行政が関与し ているため、信仰から切り放してい る。獅子頭には魂を入れていない。 信仰から切り放したおかげで、従来 の獅子舞番楽とは異なり、町内どこ の集落の子供でも参加でき、また、 女性も参加できるようになった。

練習風景4

練習風景5

 「獅子舞倶楽部」が伝統的な獅子舞番楽に与えるメリットについて、松田訓教育長は次のように述べている。

 「子供たちに関心を持たせるということは、その 親も引き込むことになる。今までは講中の家の人 は関心があるが、それ以外の人は関心が薄かった。 また、たとえ講中の家の人でも若い嫁さんなんか は関係がないという状況が続いていた。それが自 分の子供が獅子舞倶楽部に入ると、興味が起こる。 親ばかりでなく、嫁さんの実家も見にくる。獅子 舞に対して関心がでてくると、自分たちの集落に ある獅子舞番楽を見る目も変わってくる。子供た ちもよそにいっていろいろな民俗芸能を見たとき に、自分たちの獅子舞を思い出すだろう。将来地 元で所帯を持った人だけでなく、よそへ出た人でも外部から応援することになるだろ う。子供時代にやったことはどこにいっても忘れない。このような目的のためには男 性でなければならないとか、長男でなければならないとかは関係ない。女の子でも参 加させている。女の子が入ってくると男の子はがんばる。彼らを民俗芸能の直接的な 後継者にすることよりも、将来応援してくれることを望んでいる。


(5)まとめ

 現在では獅子舞番楽を外部の人に披露しても、個人的に経済上の見返りはない。むしろ、当日仕事を休んで出演するのであるから、かえって大変である。 民俗芸能を観光資源として活用するためにはそれなりの体制が必要である。例えば、常に演じることができる「場」を確保することもなど考えられる。しかし、鳥海町では、獅子舞番楽を観光客に見せることで経済的な見返りを得ることような形態になり得ない、また、すべきではないという意見がある。あくまでも民俗芸能の獅子舞番楽として 、行事のなかで伝承されていくことを望んでいる。しかしその反面、獅子舞番楽の競演 会、鑑賞会、獅子舞倶楽部などを通して、多くの人々と新しいネットワークが生まれ、町の活性化につながりつつあるのも事実である。
 最後に、インタビューに応じていただいた、下直根番楽の柴田恭一師匠、二階番楽の佐藤良一師匠、鳥海町教育委員会の松田訓氏、高橋建氏に心から感謝申し上げる。


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