このような環境条件の成立は、結果として東北地方に豊かな自然の恵みを与えた。
縄文時代を通じて、その生業体系はあくまでも植物質食料主存型であり、それにシカ・イノ
シシなどの動物、鳥類の狩猟、さらに沿岸部では交易品製造を含む貝類の採集が副次的
に加わって成立していたと考えられるのである。
東北地方以北では、主に太平洋側で、秋季のサケ・マス漁の比重もかなり大きかったことであろう。山内清男は、秋田県矢島町、阿仁町などから出土した岩塊にサケの絵が線刻されている。「サケ石」の存在や、東北地方における遺跡密度の濃さから「サケ・マス文化圏」の存在を主張した。
しかし、それ以上に大切なのは、クリ・トチ・ドングリなど堅果類の利用である。これ
らは、秋の大量な採集と長期の保存性に優れ、しかも人間の活動源としての炭水化物を
多量に含む。渡辺誠の研究によれば、灰を使った水晒し、煮沸などによるアク抜きの技
術は、既に縄文時代前期には確立されていたという。近年では、定住の実現、集落の形成とほぼ時を同じくして、加工用具としての石皿・磨石等の爆発的な増加が認められることから、この技術がさらに古い時期に発明された可能性が高い。
なお、これに加えて沿岸部の縄文人たちに特徴的なのは、大量の貝類採取と巨大貝塚の
形成である。後藤和民は、その背景に交換経済の発達に伴う、“干し貝”製品の集中的
な製造を指摘した。縄文時代後期には、仙台湾周辺と茨城県霞ヶ浦沿岸で全国にさきがけて製塩土器による塩づくりの技術が芽生えるが、それとともに一つの集落では到底消費しきれない大量の貝殻の投棄は、後藤の考えをよく支持している。ただし、貝類の持つカロリーは意外に低く、堅果類のそれに比べると、同じだけの労働力をかけても摂取できるカロリーはその1割程度にしかならないという。
人口密度の多寡は、自ずから文化要素の伝承力に粗密の差をつくる。以上のような豊かな自然の恵み
を受けて、東北地方の縄文文化は豊かにそして、複雑な内容をもって花開いていったの
である。