tohokujyo 「縄文文化と東北地方―東北の基礎文化を求めて」 目次  前項  次項
第3章 東北の縄文文化
2 東北地方の縄文文化の流れ
(2) 定住生活の始まり 山形県高畠町洞窟遺跡群

 縄文時代草創期の遺跡群の中で、全国的にその密度が高く、また様々な遺物が発見され ているのが、近年「うきたむ(縄文)風土記の丘」として整備が進んでいる山形県高畠 町である。この地は、草創期に人々が住んだ跡として、凝灰岩の洞窟と岩陰が19箇所ほど知られ、一ノ沢岩陰や日向洞穴・尼子岩陰など、隆起線文土器や多縄文土器などが
多くの石器類と共に出土している。東北地方では、縄文時代草創期の遺跡として、完形の隆起線文土器を出土した青森県表館遺跡、復元された爪形文土器を出土した岩手県大新町遺跡など、開地の比較的大規模な遺跡も存在する。しかし、高畠町洞窟遺跡群ほど質量ともに纏まった遺跡はなく、この地が東北縄文文化発祥の地と言っても過言ではない内容を持つ。実に「縄文風土記の丘」に相応しい。
 このような遺跡群は、広島県帝釈峡(たいしゃくきょう)遺跡群や新潟県小瀬ケ沢・室谷 (むろや)洞窟など、いずれも草創期に形成され、断続的な居住痕跡を残しながら弥生 文化にまで至る場合が多い。
 開地の竪穴住居という住様式が普及する直前段階、草創期の人々が積極的に洞窟や岩陰 を利用した背景にはそれなりの理由があろう。私は、年間を通じてほぼ完全な遊動生 活を送っていた旧石器時代の人々に、ある程度の逗留を可能とする、ベースキャンプを 提供したことが、やがて一定期間の居住(つまり半定住)慣習を形作った、つまり、洞 窟・岩陰の存在が、定住化のきっかけに大きな役割を果たしたと考える。人々は、定住 の便利さを知り、しだいにライフスタイルを定住志向へと転換する。その延長上の文化 要素として竪穴住居を受入れ、集落を形成し、縄文文化的定住を実現していったのであ ろう。

 東北地方には、他にも岩手県龍泉新洞(りゅうせんしんどう)洞窟、秋田県岩井堂(い わいどう)洞窟など、各地に洞窟遺跡は散在するが、北部の洞窟遺跡ではいずれも早期 以降の遺物しか出土しない。近年、福島県西部の阿賀野川流域で、横断道建設に伴って 調査された塩喰(しおばみ)岩陰には、草創期以前に遡る遺物包含層が発見されたとい うが、まだ全貌の解明には時間がかかる。
 縄文時代黎明期の東北地方を語る資料の発見は、高畠町洞窟遺跡群から、次第に東北地方南部地域の洞窟遺跡、北部の開地遺跡へと拡大しているのである。


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