jyomonmaturi 「縄文文化と東北地方―東北の基礎文化を求めて」 目次  前項  次項
第3章 東北の縄文文化
3 東北地方縄文人たちの“まつり”と“いのり”の世界
(1) 縄文の“まつり”のはじまり

 自然の中に生き、その恵みと厳しさの双方を知っていた縄文世界の人々にとって、村の 安泰と子孫の繁栄は、自分たちの人智を超えた、切実な願望であったに違いない。彼ら は、彼らを取り巻く自然界のあらゆるものに“いのち”を感じ、あるときは収穫の恵み に感謝の念を捧げ、またあるときは不順な天候の好転を願って、あらゆる場面で素朴な 祈りを捧げた。このような自然崇拝は、先史時代の諸民族に普遍的な原始宗教のかたち だが、縄文人は年々の季節の移り変わりに、いのちそのものの“よみがえり”を感じ中 期段階には家族共同体レベルの直接的な“まつり”と、集落共同体レベルの“祭祀” が、次第に分化していく。
 では、縄文の“まつり”の起源は、どこまで遡れるのであろうか。青森県根井沼(ねい ぬま)遺跡で出土した縄文時代早期の土偶は、この問いにひとつのヒントを与えてくれ る。わずかに頭の突起と両肩をひろげ、胸に遠慮がちに乳房状の突起と、細かな刺突文を加えた板状の小形土偶。その模様は貝殻沈線文土器に共通し、土偶のような特殊遺物にも、その初源から土器製作の技術が応用されている。これが東北地方出土、現存最古の土偶なのである。類例はもうひとつ、津軽海峡を隔てた北海道函館中野遺跡に知られるが、この時期以前の土偶はない。しかし、土偶の発生を全国的に見渡すと、まず早期前半、関東地方の東部に局地的に広がり、これにやや遅れて近畿地方、最近では九州南部地方でも出現することがわかってきた。いずれの地域でも、その発生は竪穴住居が普及し、集落の形成が行われる時期に一致する。東北地方の貝殻沈線文土器様式の広がりも、当然これらの文化的基盤を背景に語られる。
 縄文の“まつり”は、もちろん土偶の存在だけで語り得るものではない。しかし東北地方では、つづく縄文時代前期には円筒土器文化で「岩偶」が、中期初頭にはさらに多くの土偶がつくられて、晩期まで続く縄文“土偶祭祀”のかたちが整っていった。晩期の遮光器土偶に見られるような、“ひとがた”の概念からかけ離れた過度の造形。 小林達雄が、土偶の造形表現の根底に、男女という性別を超越した“大地の守護神”の イメージがあったと語るように、その造形の初源を訪ねれば、根井沼遺跡の土偶に見ら れるふくよかな「トルソー(胴)」そのものの表現に行き着く。ここに私は、縄文世界 の“まつり”の原点をみる思いがするのである。


目次  この項の始まり  前項  次項