確かに東北地方は、日本を代表する数々の文化を過去に生み出してきたね。縄文文化はその後期から晩期にかけて、東北地方が中心だったわけだし。
奈良の大仏の鋳造には宮城県涌谷町の黄金が使われたし、藤原氏が3代、100年にわたって、京都や江戸から独立した独自の文化があったわけで。
『歴史を振返ればそこに東北があった』なんてどう?なかなかいいキャッチコピーじゃない?。
よく、「東北は暗いイメージが売り物だね」とお客さんに言われますよ。でもマルコポーロが「黄金の国ジパング」と書き記したのは、その涌谷町の金に誘発されたという説もあるんですよ。
歴史は明るく輝いているのに、どうも「暗くて、寒くて」というイメージから抜け切れないですね。
「雪・酒・演歌」が東北の舞台装置みたいに考えられていたりしてね。あっ板さん熱燗もう一本ね。
明治以降でも数多くの文学者が生まれたのが東北地方ですが、やはり東北の風土を素材とした作品は、何となく暗いイメージが付きまといますね。
太宰治や石川啄木の作品なんか、黒いマントを寒風になぶらせ、足元に視線を落としながらぼそぼつぶやいている、そんな感じだものね。まあ、私だけの印象かも知れないですけど...。
哀愁のない歓喜とか、影のない日照りとかは、どうも薄っぺらな感じがするんだよね。冬の田圃だってよく見るともう春の準備をしているし、土が一生懸命呼吸しているような気がするよ。
だから、一見暗く見えるような東北の文学作品にこそ、明日は明るいんだという希望と夢が込められているんじゃないかな。