
健一: 大潟村をまわってみて気が付いたんですけど、屋根の色が非常にカラフルですよね。
伊藤: 目立つからね(笑)
富田: 最初は全部赤に塗らされたんですよ。国が土地と家を配布してくれたのでね。機会もセットで。 確か一次が赤、二次が黄色、三次が青って決まってるんじゃなかったかな。
健一: 屋根の色とかがみんな同じだったら自分の家がどこにあるか難しいんじゃないですか?
伊藤: 酔っぱらったときに、間違って違う人の家に入ったことがあるよ。
健一: えっ、あるんですか?
佐藤: 例えば、酒を飲んで酔っぱらったときに、隣のうちに入ってしまって、寝ちゃって。で、やっと目が覚めて気づいたら、あら?って感じですよ(笑)
富田: あーあるある。みんな同じ形の家だし、間取りなんかも一緒だからね。
健一: お家の内部はどのようになっているんですか?
伊藤: 結構小さいんですよ。でもその頃はそれで我々も満足していたんですけど、農家はやはり後継者が出なければならないわけで、まぁ別居をするとなれば話は別だけれども、やっぱり3世代は必要になってきますから、3世代ではとてもあの家には入れませんよ。最初私は親父とおふくろを連れてきて、嫁さんと子供二人。それではとても狭くて住めないから徐々に増改築をしたんですよ。
大沼: お子さんはちょうど伊藤さんが入植したときとの年齢じゃないですか?
伊藤: もっと上ですね。今30才ですから。私は26才の時に入植してきたので。もう孫もいるんですよ。
健一: 入植してきた頃に比べて、大潟村も随分変わったんじゃないですか?
富田: えぇ、ここはもうとにかく何もなかったんですよ。開拓してから2、3年なるぐらいでしたから。
なもんで、よく砂塵が舞ったもんですよ。砂漠みたいに。サッシの間から砂が入ってきて、家に中がザラザラするんですよ。そのくらい何もなかったんですから。
伊藤: だって八郎潟が湖だったって感じないでしょ。
健一: はい。もう全くと言っていいほど面影はわかんないですよ。道路を車で走っていてもこんなに広い湖がかつてあったのかって信じられないぐらいですから。
八竜町に住んでいた伊藤さんは芦崎にいたということなので、干拓の様子をずっと見てきたと思うんですけど。
伊藤: あーはいはい。
健一: 小さい頃に八郎潟の湖に遊びにいった頃の思いでの場所が干拓ということで、どんどんその姿を消していってしまって、周辺に住んでいた人たちは思い出の湖を消されたくないという思いがあったんじゃないですか?
伊藤: 最初はもう大反対でしたよ。昔、この周辺では半農半漁をしていたもんですから。だけど、最後は保障金が下りることになって、もう金でダメになってしまったんですよ。それに目が眩んでしまったんですよね。
それに、昔は台風の被害がありましてね、秋に台風が来ると、海から水は入ってくる。そしてせっかく稲が実った田んぼが半分ダメになり、腰まで水に浸かって、稲苅りをしたんですよ。
今思うと、昔は湖にいけば魚はとれる、山へいけば山菜はとれる、お米もとれるで食べるための必要最小限のものはなんでもそろってましたからね。今に比べればわがままな暮らしですよ(笑)