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manga.r.gif大塚英志のおたく社会時評 第六回
アスカと寝てみる、っていうのはなかったんだろうか。
 


陽気婢の『彼女の自由』(ワニマガジン社)が面白い。『エヴァンゲリオン劇場版』の冒頭でシンジが病室に横たわるアスカを見てマスターベーションしてしまう場面があったけど、ちょっとあの感じに似ている。シンジくんもそうだけれど、陽気婢の作品も逆おとめちっくもの、とでもいったらいいのか、男の子の内面が肥大して描かれ る。
 花見Q太郎にもちょっと感じるのだが、こういったうつむき加減でうじうじ系で本当の自分をわかってくれる異性を求めている、というキャラクターは本来、70年代後半の陸奥A子とか田渕由美子とか、あの辺りの乙女ちっく系少女まんがのものだった。恐らく掲載誌が中綴じのH系青年誌のせいなのだろう、陽気婢の作品は、まず心よりも先に肉体が仲良くなってしまうというパターンの作品が多いが、作者はその後で律儀に心がわかりあっていく過程を描こうとする。気持ちと肉体の隙間を主人公の少年たちは健気に埋めようとしていて、ある意味でそれは異性に対する補完計画的なふるまいだけれど、悪い感じはしない。



シンジくんもマスターベーションなんかしないで、とりあえずアスカと寝てみる、そういう可能世界もあったのではなかろうか。『エヴァ劇場版』の母子相姦的モチーフの限界というのは、登場人物、特に男性たちが「おかあさん」以外の異性を遂に発見出来なかったあたりにある。庵野は確信犯的にそれを描いたのかもしれないが(だからアスカに最後の最後で拒まれて映像は途切れる)、その批評性がどこまで受け手に届くか、やはり疑問は残る。
 『彼女の自由』は女の子(つまりは世界)に対して逃げないシンジくんを描いている点で正しい。無論、『彼女の自由』の場合は、他者の方から私を受け入れてもいいよ、と迫ってこられたようなものだけれど、シンジくんとてアスカを押し倒すチャン スはあったはずである。
 それにしても陽気婢の描く性行為に於て、当然のように男の子が受け身なのは考えさせられる。まるで女の子のように女の子に身を委ねる男の子、というキャラクターのあり方にジェンダーの屈託ない解体を見るべきなのか、ただ女の子に奉仕させるだけという、より男性的なSEXがオブラートに包まれただけなのか、興味深い問題である。



今月の私
◆永山則夫元死刑囚の未公開書籍が手に入ったこともあり、永山則夫論の不定期シリーズを「中央公論」で始める。それとは別に「諸君!」で『宮崎勤とぼくの'80年代』を連載開始。これは宮崎勤の出てこない宮崎勤論であり、<おたく>的なるものの社会史となる。
◆角川書店で森美夏(まをまりお)と組んで連載していた『北神伝綺』がようやく単行本になる。柳田国男の「山人」をめぐる転向をモチーフにした伝奇モノ。森美夏とは年末くらいから戦前の偽史運動をモチーフにした『木島日記』というシリーズを「少年エース」の増刊で始める予定。角川はイヤみたいだけど。
◆評論集は、教科書問題(朝日新聞)、まんが論(小学館)、描き下しで神戸の事件とエヴァについて(岩波)の3つは年内に出したい。ここに書いて自分を追い込まないことにはどうしようもない、と思いつつ、何故かガレージキットにハマる今日この頃。

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