四角い電脳ジャングル 第六回/メディアとプロレス2.多メディア時代の胎動 前田UWFに始まり、剛のパイオニア戦志、大仁田のFMWと80年代終わりはテレビ抜きの団体の設立ラッシュが始まった時期にあたる。周知のように、この流れは止まるところを知らず、分裂が分裂を呼び、中堅以上の選手の引退はそのまま新しい団体でのカムバックに繋がり、今やプロレス団体の総数は30を越える。「テレビなくしてプロレスなし」という呪縛の消滅は、そのまま、史上最大の多団体時代の幕開けを意味していた。 でも、何が変わったのだろうか。 何が「テレビに代わるもの」として登場したのだろうか。 一つはビデオである。プロレス・格闘技ビデオは、当時草創期であったセル・ビデオ業界の隠れたベストセラーであり、前田UWFは毎大会ごとにビデオを発売することによってテレビ放映権を上回る収入をあげていた。「テレビがなくても、ビデオがあるさ」という発見はたちどころに全ての団体の知るところとなり、試合終了までにその日のビデオを撮影、ダビングし、売りさばく団体まで現れることとなった。 二つ目は、余り指摘されていないことだが、チケットぴあに代表されるコンピューター・チケッティング・サービスの登場である。それまでのプロレスのチケットといえば大体どこで売っているのかわからない。道ばたのポスターを見て、電話番号と住所を控えてわざわざ郵便小為替送るとか、ポスター貼っている飲み屋の親父に声かけるとか。そうじゃなければナゾのルート(って要するに団体営業のおこぼれなんだが)から回ってくるのを待つしかない。チケット手に入れるにはそれなりの根性がいったのである。これは、団体側からいえば、地方の興行主と親しかったり、多数の営業マンを動員しなければチケットを捌けないこと、つまり老舗の大規模団体でなければ会場に客なんか集められないことを意味していた。 それが、大都市ならば、チケットぴあやチケットセゾンのカウンターにいきさえすれば、簡単にチケットが手に入るようになったのである。どんな弱小団体でも、営業マンが一人もいなくとも、ぴあにお願いしにいけばそれだけでチケットを捌くことができるようになったのである。かくしてプロレスは、史上最大の観客動員力、力道山の頃も、長州と藤波が名勝負数え歌をしていた頃にも想像できなかった圧倒的な集客を達成することになった。有名な、老舗の団体でなくても、そこそこの客入れが可能になったのだ。 そして活字プロレス。 「オレ達週刊誌が報道してやったからいろんな団体が飯食えるようになったんだ」というような意見が時々専門誌系の編集者、記者から出てくる。確かに一理はある。専門週刊誌があり、あれだけのページ数を誇っているからこそ、弱小団体まで含めて情報が全国津々浦々まで行き渡っているのであり、そしてその情報がなければ、そういった情報を通じてファンに関心をもってもらわなければ、いかにチケットを売る手段があったとしてもたいして役に立ちはしない。 だが、逆もまた真なのだ。 テレビに出てこない、普通に生活していては知ることができない団体があるからこそ、独自の情報源としての専門週刊誌というのが売れるのである。前田UWFがブームをおこしたからこそ、週プロは部数を激増させることができたのであり、その後も多団体時代が続いたからこそ、部数を維持することが可能だったのだ。その意味で専門誌とノーテレビのプロレス団体は運命共同体だ。どちらが上ということではないし、どちらがどちらを準備したという話でもない。 活字プロレスはプロレス自体と共進化を遂げて来ただけといった方がいいだろう。 ともあれ、プロレスはテレビに支配される時代を抜け出すことができた。 しかし、それはまた、テレビにおけるプロレスの影が薄くなるということをも意味していた。前田UWFの登場の一ヶ月ほど前、全日も、新日も、次々とゴールデンタイムから追われていったのである。 |