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セーラームーンって日本人? 以前、セーラームーン論(と、いうほどの大げさなものではないエッセイ)を某雑誌のために書いたことがあったが、そのときの、この作品の版元である会社の編集部の横暴たるや、すさまじいものがあった。 最初、その某雑誌はこのエッセイを、セーラームーンの謎本を書いたS氏に依頼しようとしていた。僕は別の作品担当だったのだ。ところが、急に受持ちが代わって、僕がセーラームーンを担当することになった。なんでかと思ったら、版元の編集部が、「Sなどに書かすなら、二度とお前の雑誌には図版などを提供してやらないからそう思え」とオドしをかけてきたのである。 某誌編集がビビって、「では、カラサワシュンイチではいかがでしょう」とうかがいをたてると、向こうはしばし考えた挙げ句、 「カラサワシュンイチならばまあいいが、書き上げた原稿はこちらでチェックを入れるから送れ」 と言ってきたという。おかげで〆切が早まってえらい往生した。 そして、出来上がった原稿を見て、その版元編集部は言った。 「文中、オタクという言葉が8回も使われている。これを4回に減らせ」 これではまるで検閲である。出版の自由などという言葉はこの出版社の辞書にはないらしい。 まあ、ともかく、このようなわけでセーラームーンに対する僕の印象は決してよくなかったのである。別に作品に罪はないのだが。 そうこうするうちに、セーラームーンブームは日本ではあっというまに終わりを告げ、他に人気の出そうな企画がないからというだけの理由でエンエンと続いた番組もとうとう終了。登場人物のほとんどが死んでしまうというヤケクソ的な幕切れも、さして話題にならぬまま(セーラー戦士たちの死亡診断書、というのを見たことがある。本職の医師〜もちろんセーラームーンおたく〜が本物の死亡診断書で作成したものだ。死因のところに“電流によるショック死”などとちゃんと書かれて、死亡日時が最終回放映日の、そのキャラが死んだ時刻になっている。やれやれ)うわさも尻すぼみとなり、消えていった。ところが、そのころ、既にこの作品は海を渡って海外で評判をとっていた。 最初にセーラームーングッズ(長いから略そうと思ったが、そうするとSMグッズになってしまう)を“カワイイ”と注目したのは、アメリカのグリニッチ・ビレッジのゲイ・ストリートのファンシーショップである。そして、そこのゲイたちが、セーラームーンのUFOキャッチャー用人形を服に飾って歩き出し、そこからアメリカでのセーラームーンブームが巻き起こった。 こういう経緯を知らないと、なぜイタリアでセーラームーンが「これを見た子供がホモになる」という理由で放映禁止になったのか、さっぱりわからぬことになる。日本のアニメの少女キャラは、アチラの人々にとっては、まだ性差の未分化なラーヴァ(幼体)に過ぎないのだ。 最近、オタクアニメは海を渡ってあちらのファンに浸透している。オタクを成人拒否のモラトリアム精神形態と見れば(僕はこの見方に賛成しないが)、文明の進んだ国の若者が一様にオタク化するのは当然の帰結と言えるだろう。これをオタクの世界制覇に有利なものと見るのは自由である。しかし、まだ、世間にはそういうオタク記号に慣れていない人々が多数、生息しているのだ。そのことを忘れてはいけない。 “異文化コミュニケーションマガジン”と銘打たれた、「HIRAGANA TIMES」(ヤック企画)の10月号に、そういう人種の代表みたいな人物の声が載っていた(「ひらタイ国際草の根フォーラム」欄)。 筆者はアーモン・ロイというアメリカ人で、その妻が、子供たちの見ているセーラームーンのアニメを見て、一緒に見ている子供たちの母親に質問したという。 「セーラームーンって、日本人?」 》「そうよ、もちろん」母親たちから一斉に声が上がりました。 》「本当に?」念を押す妻。 》「本当よ」と、答える母親たち。 》「本当?」妻は信じられないふうに重ねて尋ねました。 》「その通りよ!」一人の女性が険しい声で答えました。くだんの人物が日本 》人であることを外国人が疑うなんてと憤慨しているのです。 》変なのよ。金髪の日本人なんて見たことはないわ」 》妻が言いました。すると、その日本人女性は明らかにろうばいし、面目が丸 》つぶれになるのを避けるようにこっそりと離れて行きました。 (原文はわかち書き) これからこの筆者はドラゴンボールのキャラクターが強い状態になると金髪に変身することなども例に引きつつ、日本における金髪崇拝(最近の若者が髪を金髪に染めることなども含め)、ヨーロッパ指向をキュウダンする。 》日本人はどうして金髪の外国人に憧れ、その他の人種をさげすむのでしょうか? 》こうして日本人はアジア人を劣等視し、彼らがヨーロッパ人が非白人に対し 》て行った同じ無差別な強かんと殺戮の‘かも’にしたのです。 やれやれ、という感じである。よくまあセーラームーンからここまで強引に話を持っていけるものだ。まあ、外国人に自国の文化を説明するという作業の難しさはよくわかっている。たぶん、僕らがヨーロッパの文化を本質的には理解できないのと同じく、連中に日本を理解させるなんてことはは無理なことだ。しかし、こういう半チクな解釈とトンデモな結論で日本を叱るバカを見ると、やはりある程度は説明しておかねばならんという気になる。 日本人の目が西欧を向いていたのは明治維新後の一時期と、戦後貧しかった一時期くらいに過ぎない。それも、彼らの金髪碧眼にあこがれていたわけではない。彼らの豊かさにあこがれていただけだ。すでに、日本人の大部分はだあれもアメリカ人をうらやましがってなんかおらんのだ。セーラームーンをはじめとする、マンガのキャラクターの金髪にはちゃんとワケがある。 セーラームーンを語るのに、少女まんがの伝統を無視して、作品を単独で切り話して語ることは無意味なばかりか、この筆者のような多大なる誤解を招く。少女まんがにおいて、マンガ家たちが主人公の髪の毛を金髪にしたのは、黒髪ばかりの日本人の世界で、それをそのまま描いたのでは、画面にベタが多くなり、重くなりすぎるから、という単純な理由に過ぎない。いや、あれは金髪ですらない。マンガ家たちの用語において、あれは「シロケ」と称される。髪を黒くベタ塗りしないテクニックというだけなのだ。もともと、少女マンガの絵柄の中で、美形キャラを描きわけるというのは難しい。同じような美形キャラクターを二名以上出す場合、その最も簡単な書き分け方は、片方の髪を白くしておくことだった。画力のないマンガ家たちの知恵だったのである。その原稿にカラーリングをほどこすとき、いくらなんでも白のままではナンであるので、髪の色の中で最も薄い、シャンペンブロンドに塗っただけなのだ。あれは実際の金髪を表しているのではない。記号なのである。 なぜ青や赤でなく金髪かというと、これは青や赤の髪の毛の人間というものが存在しなかったからだ。『海のトリトン』では緑色の髪の毛を持つが故にいじめをうける少年が主人公である。しかし、記号ということで割り切ってさえしまえば、別にその髪の毛は何色でもかまわない。現に今のアニメーションでは、青や赤の髪の毛が氾濫している。『ひみつのアッコちゃん』は昭和40年代のアニメでは黒髪だったが、20年後の再アニメ化のときには紫色の髪の毛だ。これは、アッコちゃんが日本人でないということを表しているのでは決してない。未だにアッコちゃんはたたみ敷の家に住み、黒板塀の裏の空き地で変身する。純粋な日本ムスメなのである。 さらに最近は『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイにあやかって髪を青く染める女の子たちが続出している。すでに彼女は日本人でないばかりか、世界のどこの人種でもない人工的なクローン人間だ。 ホテルの宿泊簿にまで髪の色を書き込む欄のある、つまり髪の色がアイデンティティに深くかかわっているアメリカ人と違い、回り全てがクロケの中で育った日本人にとって、髪を染めるという行為はピアスをする、タトゥーをほどこすといった身体加工と何ら変わらぬオシャレの一環に過ぎない。このような妄説は、日本人がパーマネントでせっかくの直毛を縮れさせるのはユダヤ人にあこがれているということだ、と主張するのと同じくらい、アホらしいものなのである。 |