ONLY.2.gif 四角い電脳ジャングル 第七回/メジャー・スポーツとしてのK−1
3.グローブ空手という抜け道
 

全世界に門下生を有し、傑出した才能を抱えこんではいても、アマチュアの枠内に止まり続ける極真会館。一方で、ムエタイの枠に閉じこめられることによって集客力を失いつつあったキック。
 1980年、石井館長の正道会館が極真系の空手団体の一つとして独立した時代の状況を簡単にまとめればそういうことになる。こうした中、はじめ空手各派のオープン大会を荒らしまくるという手段で地歩を築いていった正道会館は、次第に、プロ化という方向を見据えるようになっていった。ただ今までの空手団体と違っていたのは、それをキックへの進出ということではなく、空手自体のプロ化ということで成し遂げようとしたことだ。

空手のプロ化。そのために正道会館がまず行ったことはプロレスや音楽コンサートと見まがうような派手な会場演出の導入である。自派の大会から初めてノウハウを蓄積していった正道会館は、91年のUSA大山空手との全面対抗戦では、会場こそアマチュア格闘技のメッカ、代々木第二体育館を使用してはいたものの、内容的には完全にプロの興行となっていた。
 そしてグローブへの取り組み。
 プロ化、ということを考えた場合、KOシーンを飛躍的に増やすことのできるグローブでのパンチ導入は極めて有効である。しかも、グローブという共通点さえあれば、プロの世界との交流、つまりは有名なキック・ボクサーとの対戦を組んでいくこともできる。だが、これは同時に、キック、何よりムエタイの側に引き込まれる危険性をも意味している。
 正道会館にとって幸いだったのは、92年から「トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」という大会が開かれていたことだ。グローブでのパンチが認められながらも、一方で空手着の着用を義務づけ、体重別もないワン・デイ・トーナメント戦。つまり、あくまで空手の枠内に収まっている大会なのだ。おまけに優勝者には金500万円という空手界の常識を打ち破る賞金がついてくる。参加者は、士道館の村上といった空手の猛者から、キックボクサーから、挙げ句には若手プロレスラーまで盛りだくさん。当然、格闘技マスコミはこぞってこの大会を取り上げた。
 正道勢は、この大会に主力選手を次々と送り込み、92年から94年まで3年連続で上位を全て独占。結果、「グローブ空手」という、フルコンでもキックでもないジャンルがあること、そしてその第一人者は正道会館である、ということを世に知らしめることに成功したのである。

ここまで来ればゴールは見えたも同然だ。  トーワ杯のコンセプトを、より洗練させ、ごたまぜのアマチュアではなく、世界中から一流の選手を集めて実施すればいい。
 全日本キックや総合格闘技団体のリングスと提携し、自派の有力選手を、グローブ「カラテ」ルールで、次々と海外のヘビー級キック・ボクサーと闘わせ、実績・知名度を作り上げる。オランダ、アメリカからのキック選手の招聘ルートを築き上げる。アンディ・フグ、マイケル・トンプソン、サミュエル・グレコといった極真会館の外国人選手を引き抜き、キックボクサーと交わることによって薄れがちな「カラテ」色を保つと共に、極真を中心としたフルコン空手のファンを引き付ける。
 そしてフジテレビ。

ヘビー級中心のプロ空手というジャンルを作り上げた正道会館は、フジテレビの全面的な協力体制を得て、一気に成功への道を駆け上がっていくことになった。
 K−1グランプリの登場である。



[前のページへ]      [次のページへ]