四角い電脳ジャングル 第九回雌伏の時期へ そろそろ97年も終わりである。 振り返ってみれば、97年も、随分と大きな動きがあった年だった。 第一は、やはり、「総合」の自立だろう。 佐山聡が第一次UWFに「ルール・ブック」を持ち込んで以来、総合格闘技は、常に「プロレスのアンチテーゼ」として存在していた。U系プロレスという用語が端的に示す通り、総合格闘技は、ある時はプロレスの原点として(第二次UWF)、あるいはまた進化形として(パンクラス)、つまりは「広い意味での」プロレスのサブ・ジャンルとして語られてきた。 これはシューティングやVTも同様である。やっている側はさておき、見ている側の圧倒的多数にとっては、それは、プロレスの曖昧さに耐えられなくなった元ファン達が集う聖域、あるいは、新たに登場してきた「プロレス」の天敵という位置づけに過ぎなかった。いくら前田日明が「リングスはプロレスではない」といっても、ファンも、マスコミも、総合をプロレスとは「全く異なったもの」、つまり、ボクシングや柔道のような全然関係ないジャンルとは考えていなかったのだ。 しかし、こうした過渡期も、ようやっと終わりを告げつつあるようだ。 VTという「プロレスを主役としないアピールの手段」を手に入れた総合は、加速度的にその自立性を高めつつある。何よりも大きいのはアマチュアの世界が確立してきたことである。佐山離れをした修斗を中心に、現在総合の世界では、多数の道場・ジムが活動しており、アマ修斗、アマチュア・リングスと、彼らが活躍する大会も増えてきている。エンセン、ルミナ、菊田、村上、小路。分厚くなったアマの総合格闘技界は、次第に、次代のスターの卵を生み出しつつある。「プロレスラーしかスターになれなかった時代(もしくはスター選手がプロレスラー扱いされる時代)」は終焉を迎えつつあるのだ。 これに伴ってU系「プロレス」と呼ばれている各団体においても、着実に、プロレス離れが進んできている。より正確な言い方をすれば、ヴァーリ・トゥード、あるいは「総合」という世界が確立してきたことで、プロレスの重力から解放されることが可能になってきたのだ。キングダム(旧Uインター)におけるクラシック・プロレス路線の完全放棄。リングスへのブラジリアン柔術勢の連続登場。95年当時にはあれほど盛り上がっていた「Uとプロレスの再会」の気運は、もはや、どこを探してもない。 そして、来年、「プロレス界最後のカリスマ」前田日明が引退する。 前田の引退は、総合とプロレスを繋いでいた最後の鎖を打ち砕くことになるだろう。 総合の離脱は、プロレスの「純度」も高めつつある。 今年の新日は、小川に始まり、NWOに終わった。アントニオ猪木の格闘技路線の敗北である。新日のファン、つまり、プロレス界の主流は、「スペクタクル・スポーツ」としてのショーアップ路線をはっきりと選んだのだ。 プロレスはプロレスで面白い。いや、プロレスは「プロレスであるからこそ」面白い。こう言い切れる強さを平成のプロレス・ファンは持っている。いまさら「市民権を求めて」他の格闘技と交わる必要はない。 猪木の問題意識はもう歴史的な役割を終えた。 今求められているのは蝶野のビジネス・センスである。 そして、高度成長の再来も、バブルの再発もここ何十年かは到底望めそうもない日本において、このビジネス・センスは、何よりも重要なものとなっていく。 全日本女子プロレス興行が潰れた。 みちのくプロレスも興行中止に追い込まれつつある。 多団体時代といっても、その実、興行機能を失なってしまっているところが増えている。集客も落ち、スポンサーもそうは見つからない。CSデジタル放送の開局が相次ぐ中、放映権などの話が飛び交うことも増えてきているが、実際のところ現状のCS局では団体を支えきるほどの金額が支払われることは望みにくい。 プロレスを巡る経済環境は、残念ながら、極めて厳しいのである。 全日本プロレスの開国が進み、LLPWとJWPの「禁断の対抗戦」までが行われてしまった現在、団体対抗戦でブームを作ることはもはや不可能だ。異種格闘技戦も、総合の自立が進めば進むほど、やりにくくなっていく。カンフル剤は打ち尽くしてしまったのだ。 98年は、だから、プロレス界にとっては雌伏の時期にならざるを得ない。 しかし、反転の時期は来る。 99年か、21世紀に入ってからか。いずれにせよ、今動きつつあるデジタル多チャンネル化、インターネットなどのメディア革命は、どこかで、プロレスという魅力あるソフトを絶対に必要とするはずだ。 その時までプロレスは勢いを残しておけるのか。 それはひとえにわれわれファンの双肩にかかっている。 |