短期集中連載:くそゲーハンターへの道 その1くそゲーとは何か くそゲーをつかんだら悔しい! その気持はとても良く分かります。 しかし、初心者ゲーマーは誰もが通る道でもあります。その茨の道を突き抜けた先にこそ、ワンランク上のゲーマーとしての喜びが待ってるものです。 でもそんな自己投資は最小限に抑えたいと願うのは人情というもの。 このコラムは、何回も何回もくそゲーをつかんで悔しい思いをしている初心者たちに、茨の道を一日でも早く抜けられるようゲーマーとしての正しいゲームの把握術を伝えるために存在します。 それでもくそゲーをつかんでしまった場合も大丈夫! そういう場合の対処術と心構えも、ちゃんと用意してあります。これさえ読めば、くそゲーを買った悔しさから解放されることは間違いなしです。 まず最初に、くそゲーの定義なんかについて考察してみることから始めましょう。 まずくそゲーとは何か? それは面白くないゲームのことです。 え? そんなの、もう分かってるって? 確かにそうです。基本的にこの見解は正しいと言えます。 じゃあ面白くないってなんなのか、どういうことなのか分かっていますか? これにはっきりと答を出せるゲーマーは、意外と多くないはずです。 これではなんとなく分かった気になっているだけの生悟りで、このレベルで思考停止していては進歩ってものがありません。 例えば、気付いたらそのゲームを面白くないと思っているのは自分だけだったということはありませんか? あと、出来は悪くないとは思うんだけど、どうもしっくりこないとか。 自分が面白くないということをはっきりとに説明できないようなゲームが、誰にも1つや2つはあると思います。 ちなみに、俺は個人的にイースシリーズのどこが面白いのか、いまだに全く理解できません。 ヒトによっては、これがドラゴンクエストであったりスーパーマリオであったりファイナルファンタジーであったりスペランカーだったりするわけです。 こういうことが起こる原因は、単純なものです。 面白くないって言葉の前には、ほとんどいつも「思ったよりは」という枕詞が付いてるんだけど、無意識のうちにその「思ったよりは」を省略してしまってるせいです。 その大事な隠れた枕詞を自覚できないままくそゲー批評を行っているせいで、こういうことが起こってしまうわけです。 さて、ここまでの話を踏まえた上で、少し話を替えましょう。誰かの有名な警句で、 「この世のすべての作品のうち名作はその5%に過ぎない」 というのがあります。誰が言ったのかちょっと思い出せませんが、いいこと言いますね。これは、まぎれもない事実です。でも、 「この世の全ての作品のうち、ほとんど全ての人が認める真の駄作もまた5%に過ぎない」 というのもまた事実です。 ほとんど誰にでも楽しめるゲームが5%しかないように、ほとんど誰にも楽しめないゲームもやっぱり、全体の5%ぐらいでしかないわけです。 まあ、ほとんど誰にでも楽しめるはずのゲームでも自分は楽しめない場合もあるし、ほとんど誰も楽しめないが自分は楽しいというゲームもありうるというのは前述した通りです。 いくらクリエイター気取りの連中が、 「このゲーム、作ってる最中に女と別れちゃって身も心もゲームもボロボロになったまま発売しちゃったんだよね。でも、俺的にはオッケーなんだよ」 とか 「このゲームはひどく言われてるけど、ゲームの中には独特の空気の質感が表現されてる。そこが分からないプレイヤーは気の毒だね」 とか 「この世にはくそゲーというのは存在しないと思っている。ただソリが合うかどうかがあるだけで、ソリが合う人が極端に少ないだけゲームのことをくそゲーと呼んでいいものだろうか?」 いうような寝言を……あわわ、意見を述べられても、やっぱりほとんど誰もが「つまらねぇよ」と投げ出すゲームは確実に存在するのと同じですね。 このことからも分かるように、別に誰もが認める真の駄作ばかりがくそゲーではありません。 むしろそのような、ある意味傑出したゲームの方が全体に占める割合から言えば極めて少数派だと言えます。 あるゲームがくそゲーかどうかを決定するのはそれを受けとるプレイヤー自身が決めることです。究極的にはその判断に他者の意見がつけいる隙はありません。 しかし、それと同時に客観的視点もまた確実に存在します。 100人のうち95人がつまらないと言っているゲームなら、自分が手にしたときにつまらないと思う確率は95%です。 ゲームへの感想は乱暴に分けて、面白い・普通・つまらないの3段階があります。そのうえでつまらないが面白いの比率をわずかでも上回ったとき、そのゲームは客観的にくそゲーであると断定して差し支えないでしょう。 しかも、個人の判断にも「ちょっとだけ腐ってる」から「有史以来最悪」まで受け取り方に差があります。これが主観的なくそゲー度です。 そして、主観的判断と同じように客観的判断にも受け取り方に差が現れます。つまらないが面白いをどれだけ圧倒しているかにより判断することになりますね。これが客観的なくそゲー度です。 このように、全てのゲームは主観的にも客観的にもくそゲーである可能性を内に秘めているが、くそゲーにもその不出来ぶりにレベルのようなものがあるということがお分かりになりましたでしょうか。 ちょっと分かりにくいかな? つまり、結局はくそゲー度というのは不快指数のようなものだと思えば分かりやすいでしょうか。 主観的判断はゲームを語るときのよりどころとするもの。 客観的判断はゲームを買うときに利用するもの。 そのへんをきちんと割り切っていれば、くそゲーをつかむ可能性は格段に減ることになります。 |