四角い電脳ジャングル 第十一回道場からジムへ どうやらねばりにねばったキングダムも遂にギブアップということらしい。既に昨年の終わりから選手への給与の遅配・欠配が相次いでいた、という報道がなされているから、寧ろ、「よくもった」というべきなのだろう。 この3月20日に予定されている横浜文化体育館での大会を最後にキングダム所属の選手というものはいなくなる。加えて借りていた道場も返上。代表の鈴木氏によれば、「今後は興行のみの団体として続けていく」ということだ。しかし、団体といっても人は鈴木氏一人しかおらず、事務所もなく、連絡は「実家の文房具屋にお願いします」というのだから、はっきりいって事態は相当にやばい。 捲土重来を目指し、鈴木キングダムは、「キングダム・ルールに興味のあるアマ・プロ選手」の募集を始めた。新たに選手を雇おう、というのではない。キングダム・ルールでの興行をやる予定を立てたいので、出たい人は知らせて下さい、という話。選手はみんな自由参戦。イメージ的には、空手のオープン・トーナメントとか、そういうものに近い。 要するに、他のスポーツにおける「協会」とか、音楽における「プロモーター」と同じタイプの組織としてやり直そうというのである。 日本のプロレスというものは、長らく「団体」として運営されていた。興行を行うだけではなく、選手を抱え、さらには道場をもって選手の育成までをワンパッケージで行って来たわけだ。こういった方式は、世界的に見れば、結構特殊だ。本場アメリカでは、プロレスラーになるためには、自費で、モンスター・ファクトリーなりなんなりにいってプロレスを教わらなければならない。WCWやWWFに入るのは、そんなこんなで一人前になってから。別段、ヴィンス・マクマホンJrが道場を持っているわけではない。 これに対し、日本では、プロレス団体とは選手=社員の生活共同体であり、そこには彼らが共に汗を流し、同じ釜の飯を食う道場の存在が欠かせない。日本のプロレスの発展を、この道場共同体、大相撲でいうところの「部屋」制度抜きに考えることはできないだろう。これは、プロレスを母体として生まれた「U系」諸団体においても変わることはない。 力道山は興行団体として日プロを本格稼働させる前に、タニマチ筋からの支援で、まず立派な道場を開いた。プロレスのリングだけではなく、サンドバッグ、さらには土俵までが揃った至れり尽くせりの「総合」格闘技の道場。興行よりも先に道場を、という力道山の発想の裏には、おそらく、相撲時代の経験が色濃く反映されていたと思われる。部屋があって、親方が新弟子をしごき、立派な関取を育ててこそ、という常識である。 かくして、日本のプロレスは、「道場における過酷なしごき」と共に育っていくことになった。「足下に汗のプールができ、体からは塩をふく」という地獄のヒンズー・スクワット連続三千回。ジャイアント馬場やアントニオ猪木によって語られ、梶原一騎を通じて広く流布したこの古典的な逸話は、旧いプロレス・ファンの信仰の核に確かに息づいている。高校・大学時代にアマレスや柔道でならした新弟子達がそのあまりの過酷さに夜逃げを繰り返し、大相撲で十両・幕内を務めた「プロ」格闘家が泣き言をいう。道場神話のネタはつきることがない。 科学的なトレーニングが部分的には採り入れられたとは言え、メジャー団体の道場の厳しさは、基本的には、力道山時代と変わらない。選手達は、このしごきを、体に刻みつけてプライドとし、ファンはそこに絶対的な強さの証を見る。「プロレスは八百長かもしれないけれど、プロレスラーは強い」。 道場の存在は、プロレスというジャンルの「真摯さ」を、最後の最後のところで支えている。プロレスには、客観的なプロテストもなければ、そこに行き着くために登らなければならないアマチュアの階梯もない。我々普通の人と、リングに上がれる特権を持ったレスラーとの違いは、煎じ詰めれば、「道場に所属しているかどうか」ということでしかないのだ。 だからこそ道場の神話は大事なのである。 それがあるからこそ、日本のプロレスは、アメリカのようなギミック・ショーではなく、「ストロング」でいられた。ベビーとヒール、人種と宗教に彩られたコミック・カーニヴァルではなくて、格闘技の一つとして受けとめられてきたのだ。 道場の神話はUWFにもある。というか、「道場でやっていることをそのままリングの上でもやる」ということこそがそもそものUWFのスローガンであった。 シビア過ぎてあまりに地味、且つ、残酷な道場での「シンケン」。だが、プロレスの原点、格闘技としてのエッセンスはそこにこそある。UWF革命を、実際にその前線にたっていたレスラー、前田や藤原の観点から解釈すれば、そうなるだろう。ゴッチ教室があり、藤原教室がある。そういった新日道場の血と汗の神話をそのままマット上に持ち上げていったのがUWFだった。 UWFとは、日本プロレスの道場神話のエッセンスでもあったのである。 こう考えてみると、鈴木キングダムというのは、相当に道を踏み外しているようにも見える。道場なし、選手なし。それでどうやって「UWF」をやってみせるというのだろう。 だが、一方で、キングダム自体が再生するかどうかはともかく、鈴木氏の「広く一般から選手を集めて大会をやる」というアイディア自体は「あり」なんじゃないか、という雰囲気が流れているのも事実だ。鈴木氏の発表に対して、「本当にできるの」という反応は多々あったが、企画自体が非常識という反発は見られなかった。 この背景には、UWFを出発点とした総合の流れが、「道場神話」というものを脱しつつある現状が存在する。 プロレスと他のスポーツとの一番異なる点は、プロレスには「アマチュア」がいないことだ。確かにアマチュア・レスリングというものはあり、レスリング協会と新日などのメジャー団体とのコネクションは歴史的に古いから、アマレス出身のプロレスラーというものは結構たくさんいる。だが、その関係は、「甲子園で活躍した球児」や「大学野球のヒーロー」がプロ野球入りするのとは全く異なる。 何せルールが全然違うのだ。どんなにアマレスのキャリアがあったとしても、プロレスラーになるためには、一旦団体に就職し、道場に入って、半年から一年かけて「全てをリセット」する必要がある。巨人の高橋のように、プロ入りしてすぐにクリーンナップを打つなんてことは、プロレスでは全くありえない。 ただのプロレス・ファン上がりも、街の喧嘩自慢も、アマレスのオリンピック選手も、まずは道場から。そこで歯をくいしばり、前座を何年も務めて、始めてメイン・イベンターへの道が開かれてくるのだ。 第一次UWFの頃も、第二次UWFの頃もそうだった。UWFの選手といえど、道場から生まれてくるという点では、メジャー・プロレスと変わりはなかった。それどころか、先に述べたように、UWFは、「古きよきプロレスの道場」のイメージを一番強くもっていたと言えるかもしれない。 これが崩れるのは、91年の、UWF分裂後である。先陣を切った、というか、切らざるを得なかったのは前田日明のリングスだった。日本人選手がたった一人という収拾がつかない状態からのスタートとなったリングスは、オランダの格闘家を大量投入するという荒技に出た。キックボクシングで何戦かの経験がある「セミプロ」も混ざってはいたが、組技系に関しては、ドールマンを除き、プロ経験などまるでない。更に旧ソ連にも手を伸ばし、次々と資本主義自体に馴染みのない選手たちを招聘。リングス・マットは「アマチュア天国」になってしまった。 サンボ、レスリング、柔道。アマで実績があれば、即、メインイベンターとして試合に投入する。「異種格闘技戦」という名前の余興に出しているわけではない。リングスの本戦全てがその調子なのだ。「あんな素人ばかり上げて、よくもまあ客が入るもんだ」。当時、リングスの会場を視察に来ていたプロレス関係者は、呆れ返って、こういっていたという。 道場ではなく、アマの実績の方を重視したリングスの革新性は、しかし、大して着目されることなく終わってしまった。リングスそのもののアマ組織、厚いアマの選手層があれば話は違っていたかもしれない。しかし、この時点では、アマ「空手」であり、アマ「サンボ」であり、アマ「柔道」である。その上外国人選手ばかり。世間的には、単に、「まだ見ぬ強豪(初来日の外国人レスラー全てに与えられる称号)」の大盤振る舞いというイメージでしか捉えられなかった。 何より致命的だったのは、日本人という面では、相変わらず道場制が生き延びていたということである。リングスは、国内においても、海外と同様に、アマチュア格闘技団体との提携を図った。一時この路線は成功するかに見えたが、結局、中途で挫折する。提携先の正道会館が、自ら「立ち技」のプロ団体となることを選択。リングスと袂を分かってしまったのだ。 かくして、リングスに登場する日本人選手は、リングスの道場(=前田道場)所属の選手にほぼ限定されるということとなった。オランダを中心としたフリー・ファイト(=リングスルール)のジムの拡大、国内におけるアマチュア・リングス大会の開催と、道場制を脱却する動きは水面下で続いていた。しかし、表に見えるのは、やはり前田道場と一体化した興行会社リングスという「団体」の姿だったのである。 結局は外圧ということになった。 93年末の第一回UFC大会に始まるヴァーリ・トゥードとブラジリアン柔術のブーム。同じ「世界最強」幻想をまき散らすものであっても、かつてのアントニオ猪木の格闘技世界一決定戦の盛り上がりと、このVTブームとには、大きな違いがあった。VTは、見る側のブームに留まらず、多数の実践者、即ち「アマ」を生み出す方向に向かった、のである。 この数年、特に95年以来のアマチュア総合格闘技の拡がりは著しい。今や毎月のように大会が行われ、様々なジムの選手が参戦してくる。そして、この流れの中心になっているのが、94年にいち早くヒクソン・グレーシーを招聘し、続けてVT向けにルールを全面改訂してしまったシューティング(修斗)である。 佐山がルールを作った、ということでは、UWFも、シューティングも、同根である。 しかし、この異母兄弟は、全く異なった育ち方をした。UWF及びその流れを引き継ぐ各派が「興行と道場の一体化」というプロレス流の団体経営を行い続けたのに対し、シューティングはアマから始めた。アマチュアが練習するジムが幾つもあり、そこで育って来た選手がプロのライセンスを獲得し、そして興行に出る。ボクシングやキックと同じ、つまりは普通のスポーツとしての体制を作り上げたのだ。 第二次UWFが一世を風靡していた頃、シューティングの大会は閑古鳥が鳴いていた。興行ということに関してだけいえば、新日時代に名前を売りまくった選手がいるUWFに比べ、弱体なのは致し方ない。何せ、解説の佐山以外は、誰も彼も無名の選手ばかりだったのだ。 いくら組織を固め、ルールを整備し、こつこつと運営を続けていても、「引き」がなければお客さんは来てくれない。シューティングにおける「引き」というと、結局、佐山ということになる。だが、ここにはジレンマがあった。かつてのタイガーマスクとしての佐山のファンにとっては、総合格闘技など、「地味過ぎて」興味の持ちようがなかったし、かといって今でいう総合に興味があるタイプのお客さんは、その殆どを、前田UWFにもっていかれていた。 当時のミニコミ誌には佐山の前田UWFに対する「恨み言」が書かれている。 捨てる神あれば拾う神あり。時ならぬVTブームは、興行面で行き詰まっていたシューティングに対して、まさに神風になった。「総合の中心はVTとブラジリアン柔術であり、そこに一番近いのは、日本では、シューティングである」。この明解な図式が成り立つことにより、シューティングは、拡大の機運にのることができた。 ヒクソンの招聘に始まるヴァーリ・トゥード大会の主催は、後楽園ホールすら埋めきれなかった動員力を一気にベイNKレベルにまで高めたし、VTに挑戦したい実践者は、修斗のジムの門を叩き、あるいは、アマチュア修斗の大会に参戦した。プロ・アマ双方で車輪が回り始めたのである。 エンセン井上、佐藤ルミナというスターの誕生。エンセンのUFCでの勝利、ルミナのボテーリョ(ブラジリアン柔術)に対する一本勝ち。勢いにのったシューティングは、もはや後楽園ホールでは収まりきれない動員力を誇るようになってきている。今年の客入れに関しては、キングダムやバトラーツはおろか、パンクラスすら上回る可能性がある。ここまでくれば「メジャー」といっても何もおかしくはない。 VTブームによる「アマチュアやフリーの」=「U系の道場にいない」日本人総合格闘家の増大。彼らの存在を前提としたシューティングの「アマからプロへ」体制の成功。 先のキングダム、鈴木氏のアイディアは、こういった今の状況を踏まえてのものと考えるとわかり易い。そして、こういった発想をし始めているのは、何も、キングダムに限った話ではない。97年に入ってから、リングスも、パンクラスも、一般の練習生(その中には、当然、プロ予備軍も含まれている)を取るジムを設立した(リングスの場合には、田村潔司選手個人によるもの。ただし、前田日明は、前田道場自体のジム化の構想もあると語っている)。そして、鈴木氏と袂をわかった、Uインターの不滅のエースにしてキングダムの象徴であった高田延彦も、98年2月にジムを設立。 今や、バトラーツも含め、U系の団体でジムがないところはない。 プロの興行を執り行う会社があり、競技のルール等を掌握する協会があり、協会に所属し、興行にプロ選手を差し向ける複数のジムがある。ジムは、アマチュアの練習生から月謝を取り、プロ選手からマネジメント料をもらい、引退した選手をトレーナーとして雇う。 ボクシングやキックでは当たり前のことであり、総合では唯一シューティングのみが確立しているこの体制。U系の諸団体も、着実に、こういった方向に歩を進めつつある。そこでは、もはや、道場共同体の神話は必要とされない。アマから、プロへ、そしてメインイベントへ上がっていくためには、勝利の積み重ねがありさえすればいい。 データが全て、なのである。 プロレス団体が道場共同体であるということは、「道場を生き抜いた選ばれし者たち」しかマットに上がれないということと同時に、一旦マットに上がってしまえば、後は、多少負けが込んでもそのままで続けられることをも意味している。正直、そうそう簡単に社員を首にできるものでもない。 純粋にプロレスであればそれで何の問題もない。「記録より記憶に残る試合」が尊ばれ、「負けの美学」が云々され、噛ませ犬やポリスマンや前座のしょっきりが特定選手の役割として存在しうる世界。そうであるなら、固定メンバーがいて、それぞれにキャラクターがたっていた方が自然である。だが、「勝敗が全て」の競技だとしたら、随分とおかしなことになる。 勝てない選手は、どんなにキャラクターがよく、ファンがついていたとしても、退かねばならない。そうでなければ競技とは言えない。その意味で、「勝負論」を正面に立てつつ、「団体経営」を継続していたUWF系諸派は、そもそも大きな矛盾をはらんでいた。 団体にとっても、ファンにとっても。 ジム化、協会化は、この矛盾を解消するための必然でもある。 ただ、必然には、メリットもあれば、犠牲も伴う。我々は、天才が、あっと言う間にアマからプロ、そして頂点へと上り詰めていく姿に喝采を送れるようになるかもしれない。しかし、一方で、愛して止まなかった選手が、志半ばで辞めて行かねばならない現実に耐える必要も出てくる。 そう、例えば、長井満也のように。 |