ed.king.gif006-2/11 ん〜、トミノ先生、何がいいたいんだろう・・・
 

<第21回アニメ現行学「情けない神の国の片隅で」>(文 富野 由悠季/『炎』1998年6月号)

・・・「ブレンパワード」も同じ状況で、今月にも放映に穴があくかもしれないのだが、ぼく自身、この制作に突入したおかげで、ある出版社の原稿が書けなくなり、その担当編集者から「信義の不履行」という強烈な言葉で責められている。
 が、そのような表現ができる30歳の彼女に心酔しているので、右往左往しながらも、なんとかしたいと思う。
 しかし、詩人である高橋睦郎氏が、「ありもしない個性にこだわるよ、作者名をはずしても自立する作品が作品」というような古典的な作品論に出くわすと、ヒェーと感動して言葉がなくなる。
 が、アニメ屋でも、このような頁をいただいて、文化人と錯覚できる状況があり、「もののけ姫」が大ホームランを飛ばし、「エヴァ」が内的言葉えを発露したと騒がれ、「ポケモン」という物理的な事件が起き、サンライズのロボット物が20年目にして消えたという今日、これはあらゆる意味で区切りである。




 意外な場所で発見した富野監督、今回は「30歳の彼女に心酔している」などといういささか不用意っぽい発言をサラリとしている。まぁこのあたりも氏の計算したスキャンダリズムなんだろうけど、それにしてもあいかわらず、何が言いたいんだかわかんない文章だよな。
(編集長)




ed.sato.gifRe ヘビメタはロック音楽のニュータイプか?

 まず、この「炎」という雑誌について少々説明します。要は「ヘビメタ(=ヘヴィーメタル)」という分野のロックミュージックを中心として評論を行う音楽雑誌です。
 私が興味深いと思うのは、この雑誌の体裁が、いわゆる「総合雑誌」にソックリだということ。「文藝春秋」とか「中央公論」とか「諸君」とか、ありますよね。どう見ても40歳より下の人は買いそうもないようなオジサン雑誌が。あれに似てるんです。
 A5判という判型で月刊であることや、本自体が割と厚めで、文章が主体の記事構成。いちばん笑っちゃうのが目次ページで、本物の総合雑誌みたいにゲートフォールド(折り込み)になってるんだよね。当然、文字組みなんかもモロ「真似」って感じなわけです。ちなみに「炎」に先行して総合雑誌のスタイルを取り入れている音楽雑誌としては「ミュージック・マガジン」という老舗がある。
 もちろん、そういう雑誌の編集者は、いろいろ考えた上で、そういうスタイルを採用したのだと思う。「ロック音楽にもマジメな批評媒体が必要なんだ」とか「いつまでもミーハーなノリだけで音楽誌を作っていて良いのだろうか? いや、良くない!」とかね。
 私にも、彼らの考えは理解できる。でもさ、ロックの世界を言論で斬ろうって時に、こともあろうにモデルとして総合雑誌を採用するってのは無いだろうと思っちゃうんだよな。本家の総合雑誌がどんどん読者を失って勢いが落ちてるというのに、そんなのをマネして別の雑誌を作ったところで、出来の悪いパロディにしか見えないじゃんか。
 ああいうスタイルの雑誌から読み取れるのは「保守的」という言葉に代表されるものでしかない。個々の寄稿者が保守的であるか革新的であるか、それは関係ない。ああいうスタイルで雑誌を作ってしまうという行為自体が、すでに保守的なんだよ。って思わないのかな連中は。特にヘビメタという保守的な音楽ジャンルが、このような保守的なスタイルの批評誌を要求するというのは、まったく自然な流れなんだろうけど・・・。
 ロックという、かつて一度は「革新的」といわれた音楽が、かくも保守的なスタイルを持つ器で扱われる。そのことに私は一種の感慨を持ってしまうのだ。そして「ロックを扱う言論誌」を組み立てようとした時に、モデルになる存在が「いわゆる総合雑誌」しか無かったという状況が、とりわけ貧しいと感じられるのである。
 もちろん私は「保守的だから悪い」って言ってるんじゃないよ。保守やるか中道やるか革新やるかなんてのは個人の趣味なんで、善し悪しを問うべき事柄ではないから。たとえば「盆栽」と「バス釣り」という二つの趣味を比べて「どっちが良いか」なんて言い合うのはバカげている。こういうことを書くと、マジメな総合雑誌のユーザの方々は怒るかも知れないけど、そういう世の中なんだから仕方がない。
 前振りが長くなりました。すまん。
 とにかく、そういう雑誌でですな、御大トミノ監督が連載コラムを持ってらっしゃるわけです。たぶんトミノ監督のファンが「炎」の編集部にいるんだろうけど。
 これ、すっごくハマッてるページだと思います。宮崎駿監督が「AERA」のインタヴューで日本人の将来を憂えているのと同じくらい、あるいは庵野監督が「cut」でリアル論をぶっているのと同じくらい、ハマッてるページです。この現象、生物学で言うところの「棲み分け」なんでしょうなぁ。 (佐藤 良平)




ed.erison.gifRe 富野監督フォーエバー

 富野監督を語る上でのキーワードは「原初主義」、ひらたく言えば野生のパワーであり理屈では無いのである。

 富野監督の言葉は大脳皮質ではなく脳幹にあたる通称「ワニの脳」という原始的な身体機構を司るモノから発せられていると考えるのが一番分かりやすい。
 監督の言葉というのは状況に置いてポーズを作るために存在し、その核は常にキモチイイかどうでもいいかの二種類しかないのである。

 女体=キモチイイという図式さえ見極めれば富野アニメは見る見る分かるようになる。あの不評たらたらのVガンダムもカテジナは覆面男(クロノクル)とのセックスが不満だったから見下すようになって自我崩壊を始めたと気づくととても良く分かるのである。
 富野監督のアニメはとっくの昔に子供の番組枠から飛び出しているのに(もしかして本人も自覚していない可能性も大)それを気が付かずに子供の視点から語ろうとしても無駄というものであろう。
 セックスするのが気持ちよくて、セックスした後のザラついた関係が分かるようになれば、富野監督の言っていることが理解できるというのが私の持論である。

 この文章も「是非30歳のおねーちゃんとやらせていただきたい」と翻訳するととてもよく分かる分かる。
 もはや高度情報戦に突入してしまっている今のアニメシーンでは、富野監督の出番は少ないといっても過言ではない。あまりにもストレートなモノに振り回され過ぎているからだ。
 しかし富野監督の言葉の中にこそ真実の手がかりがあることを僕らは忘れてはいけないのだ
 あのガンダムは富野監督以外には絶対に作れなかったんだから。
 富野監督の元気なうちに言葉を残しておくのは良いことである。今は分からない言葉もいずれははっと気が付く時が来るだろう。

 もっともそれは人生の理事(ことわりごと)ではなくて、「おねーちゃんはやってナンボ」という教訓かもしれないが(笑)。
 まあその時はその時である。 (原えりすん)


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