shikakut.gif 四角い電脳ジャングル 第十四回
インディーからエンターテインメントへ


仁田厚がフェイド・アウトしかかっている。
 立ち上げたばかりの自分の団体、ZENは、チーム・ノー・リスペクト(冬木軍)との抗争に破れて解散。大仁田自身も、靴を舐めさせられ、惨めな姿をさらした。
 だが、何より屈辱的なのは、マスコミ上での存在感がすっかり希薄になってしまったことだろう。FMWの話題を制しているのは、ハヤブサであり、田中であり、そして何よりも、冬木、邪道、外道、金村、雁之助らのチーム・ノー・リスペクトである。
 今や、週プロや週ゴンよりも、ラヴ&ピースのようなトレンディ・ドラマを見ていた方が、大仁田にはずっとお目にかかりやすい。

仁田の功績といったら、言わずとしれたインディー・プロレスというジャンルの立ち上げである。
 正確には、大仁田のFMWの前に、剛がパイオニア戦志を立ち上げていた。従って歴史的にはパイオニアがはしりということになるのだろうが、しかし、それは形の上のことに過ぎない。パイオニアは、要するに、メジャー団体からはずれたレスラー達の集まりでしかなかった。到底、ムーブメントを起こせるような存在とは呼べなかった。
 しかし大仁田のFMWは違った。
 世間を巻き込んで、インディーという一つのジャンルを作るまでになったのだ。

道プロレス。
 大仁田は自らのプロレスをそう呼んだ。電流爆破デスマッチ、という仕掛けが、何よりこの邪道プロレスを有名にした。台風一過、夕焼けに包まれた汐留めでのターザン後藤との一騎打ち。
 天候をも変えさせる強運の中で、大仁田の邪道プロレスは、確かな一歩を刻んだ。

だが、大仁田のプロレスの本質を、電流爆破に代表されるデスマッチに求めるのは間違いだ。
 大仁田自身も、何度も口をすっぱくして言っているように、過激なだけのデスマッチは単なるエログロにしかならない。マニアックな興味はさそうだろうが、定期的に多数の観客を集め続けることはできない。デスマッチは、あくまで、最初に興味を持たせるための誘い水である。

は邪道プロレスはどうやってファンを掴んだのだろうか。
 一言でいえば、それは、「一生懸命さ」だったろう。大仁田の暑苦しいまでの情の深さ。それが場末感漂うFMWのリングにマッチした。「オレ達はおちこぼれなんじゃ。おちこぼれでもプロレスが好きなんじゃ。」彼のメッセージはものすごく泥臭い。才能がなくても、エリートへの路線から外れてしまっていても、好きだったらやっていい。弱くっても、一生懸命だったら、プロレスをやる資格がある。
 はっきり言ってメチャメチャ陳腐だし、浪花節よりなお臭い。
 にも関わらず、大仁田は、10代、20代の男の子達にメッセージを伝えることができた。身長2メートルになんなんとする超人達の闘いであるメジャープロレスにはない夢。等身大の、こんな自分でも頑張れば頑張れるんだという夢。
 そういう夢を、大仁田は、体を張って伝えていった。
 千針に及ぶ生傷を通して。

スマッチというのは、だから、FMWにとっては手段に過ぎなかった。
 才能がなくても、ぎりぎりまで努力をすれば、根性さえ据えれば、生きていけるのだということを示すための手段。メジャー・プロレスが「やれない」、実際に滴る血を通して、本当に「体を張っている」ことを目に見えて示すための方法論。
 デスマッチは、大仁田が演じるヒューマン・ドキュメントの演出手段であり、FMWの選手達は、そうした物語に出演する大事な大事な脇役であった。
 FMWは「家族」を標榜した。
 単に仲のいい家族ではなく、体で、ホンネでぶつかりあえる家族。
 後藤と大仁田のぶつかりあいは、この家族ドラマの頂点だった。あくまで我を主張し、つっぱる後藤。それを体を張って受けとめ、家族の絆を再度結ぼうとする大仁田。
 テレビや芝居でやったら誰もまともに受けとめなかっただろう。
 しかし、プロレスで、しかも本当に血を流し合い、電流に痺れ、爆弾に吹っ飛ばされながらの邪道プロレスであったからこそ、90年代初頭のあの頃でも、こうしたドラマをオトコノコ達の胸に届かせることができた。おそらくは、表面的には仲が良くとも、空虚に満ちた親子関係の下で暮らしてこなければならなかった彼らの胸に。

WMは役者「大仁田厚」の一世一代の舞台だった。
 だが、歴史と伝統に支えられた、それこそ、「メジャー」な娯楽ならともかく、一人の人間の才能に依拠した表現が新鮮さを持ち続けられる期間は短い。大仁田は、ぼろぼろになった肉体、そしておそらくは表現者としての限界を感じて引退を決意した。
 無論、策士大仁田が、何の見通しもなく自分の団体を放り出すわけもない。
 大仁田は、ハヤブサを中心にした新しい枠組みを提示した。デスマッチを封印し、レスリングで見せるプロレス。邪道、邪道といいながらも、何年にも渡って真剣に新弟子を教育してきたFMWのこれまでの蓄積を基盤にしたプロレス。
 だが、それは、見方を変えれば、小型版のメジャー・プロレスでしかない。
 案の定、新生FMWは、厳しい経営難に陥ることになる。
 主役なき舞台には、やはり、お客さんは集まらなかったのだ。

「もう団体が続かないっていうんじゃ。貸す金があれば貸したけれど、それもないから復帰したんじゃ。」
 ウソツキ、と観客に詰られながらもFMWに復帰した大仁田は、後にファイト誌上で復帰の本当の理由を語っている。自分が作った会社に対する、自分としてできる最大限の責任の取り方。名声も、ファンの信頼も踏みにじって、それでもやる。実に大仁田らしい開き直り。
 厳しい指弾を浴びながらも、大仁田の復帰は、FWMにとって大きなカンフル剤にはなった。
 だが、カンフル剤はカンフル剤に過ぎない。引退を覆し、ウソツキと呼ばれ、そして何より時代とはズレが生じてしまった大仁田にかつての輝きはない。大仁田と家族の物語を演じてくれていた昔の仲間も離れてしまっている。
 FMWは一時の猶予を与えられただけだった。

が、救済は意外な方面からやってきた。WARを離脱した冬木引道、邪道、外道の冬木軍プロモーションの本格参戦である。
 冬木の方向性を一言でいうならば「エンターテインメント・プロレス」ということになるだろう。
 間違えてはならないのは、冬木は、決してインディーではない、ということだ。国際プロレスに始まり、全日、WARと、冬木は、基本的にメジャー、もしくは、メジャー意識の強い団体を渡り歩いて来た。新日との対抗戦の経験も豊富にある。
 冬木を「強い」レスラー、ストロング・スタイルのレスラーという人はいないだろう。
 だが、同時に、「上手い」「ベテラン」のレスラーであるということに異議を唱える人もいないはずだ。冬木が絡む試合は、基本的に、メジャーと同じレベルの魅力を持っている。
 冬木がメジャーと違うところがあるとすれば、具体的に言うなら、袂を分かった天龍とは異なる点があるとすれば、それは冬木が「強さ」ではなく「お客さま」をあからさまに選んでいる、ということだ。
 「強さ」を標榜しない。これは、一見、大仁田が「オレ達はおちこぼれなんじゃ」と言い切って始めた第一次FMWと同じ方向性に見える。確かに似ている点はある。
 しかし、大きく異なっていることがある。それは、20世紀末の現代において、メジャー団体ですら「強さ」で飯を食っていきにくくなっているということだ。

仁田がFMWを立ち上げた時、世間は第二次UWFブームのまっただ中にあった。UWF=最強という神話に皆が溺れていた。だからこそ、落ちこぼれ=強くないプロレスというのがアンチテーゼになりえたのだ。
 だが、ヴァーリ・トゥードが蔓延し、総合格闘技というジャンルが確立した現在、プロレスを「最強格闘技」と思って憧れるファンは、残念ながら、存在しない。そうではなく、スペクタクルなスポーツ、ダイナミックなエンターテインメントとして捉え、楽しんでいる。
 だからこそ、新日の中心は、橋本ではなく、nWo蝶野なのだ。
 だからこそ、全日は、スポーツライクなマラソン・マッチで安定した人気を誇っているのだ。
 その上、汐留で大仁田が一世一代の大博打をうっていた頃とは違い、今のインディーには、メジャーと同レベルで「プロレスができる」選手がたくさん揃っている。新日、全日の二大メジャーの開国戦略により、「インディーのレスラーもなかなかやる」という認識も広まって来ている。
 こういうことを踏まえての冬木の参戦であり、こういうことを背景にしてもエンターテインメント・プロレスの展開なのである。

木は、大仁田ZENの解散を賭けた試合をやる前に「ハヤブサがエースになれるなら、大仁田は邪魔」だとインタビューで言い切っている。冬木の目指す先は、インディーというジャンルの活性化ではなく、第三のメジャー団体作りである。もしかしたら、国際プロレスの復興、なのかもしれない。
 そのエースにハヤブサがなれるのならば、大仁田は排除する。
 オレはヒールとしてエースのハヤブサを育てる。
 実際の動きをトレースしていけば、冬木の戦略が一つ一つ形になっていっていることがよくわかる。

仁田のフェイドアウトは、だから、インディー・プロレスという一つのジャンルの終焉にも見えてくる。
 勿論、FMWがメジャー団体化したといって、他のインディーがなくなるわけではない。グレート小鹿の大日本プロレスは、いま現在、第一次FMWに一番近い存在だということができるだろう。過激を通り越してワクワクドキドキといった感じのアイディア・デスマッチの山、そしてグレート小鹿のキャラクターとメジャーへの反骨の物語。
 だが、それが、かつてのFMWのように化けるかといったら、その道筋は見えてこない。
 全体としてエンターテインメント化が進むプロレスの中の一つ、マイナー・プロモーション。そういった位置づけからはなかなかに抜けがたいだろう。

木の異種格闘技戦に始まり、UWF革命、ヴァーリ・トゥード・ブームと進んでいった「格闘技」の流れは、総合格闘技からメジャーを経てインディーに至るまでの多様性をプロレス界にもたらした。
 だが、もう、その先は見えつつある。
 そうして、それが行き着いた先に出てくるのは、おそらく「プロレスはプロレス」という単純な原理である。プロレスは「最強だから」でも「メジャーへの反抗だから」でもなく、プロレスだから面白い。

WFとFMW。大仁田厚と前田日明。
 プロレスという視点からコインの裏・表を作っていた二つのムーブメントは、共に、歴史になっていこうとしている。




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