“トクサツ者”が常に瞠目してやまない映画監督といえば、なんと言っても【スティーヴン・スピルバーグ】だろう。絵作りにこだわる“骨の髄まで娯楽作家”の性(さが)ゆえに、『未知との遭遇』('77) におけるマザー・シップの圧倒的巨大感や、『1941』('79) の細密で凝り凝りの市街ミニチュアワークは“伝説”となり、『ジュラシック・パーク』('93) のCGIで描かれたTレックスやヴェロキラプトルは、ディジタル・エフェクト新時代の“フラッシュ・ポイント”となった。 そんなスピルバーグが、またまたトクサツ者を驚嘆させる作品を生みだした。第二次世界大戦を舞台にした新兵救出劇『プライベート・ライアン』(UIP配給:現在東宝洋画系劇場で公開中)である。 物語の冒頭、24分間というランニング・タイムを尽くして描かれるノルマンディ上陸作戦[オマハ・ビーチ]侵攻の戦闘描写はまさに圧巻の一語。近代兵法戦をこれほど凄惨でリアルに捉えた作品はかってなく、物量投入とそのスケールで“傑作戦争映画”の誉れ高い『史上最大の作戦』('62) ですら、本作を前にしては児戯に等しい印象を受ける。 機関銃撃で肉片が飛び散り、砲弾で下半身がもげ、顔面は陥没、ちぎれた自分の腕を探して放心し、臓物をさらして死にゆく兵士たち。『スターシップ・トゥルーパーズ』('97) で酸鼻極める残酷描写を演出したポール・バーホーヴェン監督も「まだまだ甘かった!」と地団駄を踏んで悔しがるであろうゴアな描写が満載、血臭とウルトラ・ヴァイオレンスに満ちた、まさに“究極の戦争映画”といえよう。 ベタ甘なラブロマンスとレオナルド・ディカプリオのショタ美形に酔うため、幾度となく『タイタニック』を観に行くお姉ちゃんリピーターと同様、トクサツ者やコアなミリタリー・マニア、血に飢えた戦争映画ファンは金と暇の許すかぎり『プライベート・ライアン』を観に劇場へ通う(たぶんヴィデオソフトも買うだろう)。「戦争の悲惨さを描いた感動の大作」という世評とは裏腹に、あのサディスティックな戦闘シーンに心底興奮し、アドレナリンを活性化させられるからだ。 映画のシーニュ(記号)や約束事を排斥し、即物的な描写に徹底してこだわるスピルバーグの妥協なき演出。そして、それに呼応する撮影監督ヤヌス・カミンスキーの卓越したヴィジュアル・センスが、生死が単なる偶然でしかない“殺戮の現場”へと観客を引きずり込む。 しかし、一般的によく勘違いされるのが 「コンピュータ・グラフィックなどの最新視覚効果を導入したから、リアルな戦場を再現することができた」 という見解である。 確かに、火炎放射機の被弾による爆発が周りの兵士を巻き込むシーンや、画面を飛び交う弾光、背景プレートなどはCGによって「化粧」が施こされているが(これらのヴィジュアル・エフェクトはILMが担当)、『プライベート・ライアン』の戦闘シーンの迫力と臨場性は、全編の8割〜9割を占める手持ちキャメラワークと、ENRなどの特殊なフィルム現像効果、ディジタル立体音響をフル活用したサウンド・ディザイン、そしてなにより【フィジカル・エフェクト】によるところが大きいのだ。 フィジカル・エフェクトとは、撮影時の爆発や弾着効果、人工雨や人工風、雷や洪水などの「ライヴ特撮」のことを指す。戦争やアクション・ジャンルのみならず、大なり小なり映画には欠かせない要素だ。オマハ・ビーチの侵攻シークェンスは、そんな爆発や弾着効果の“衝撃的”なシーンが山のように見受けられる。 例えば「機関銃掃射を受けた兵士が肉片を散らせ、血霧を噴出させる」シーンや、「弾が海を潜って水中で溺れる兵士に命中、水が血で濁る」シーン、「水面や泥をはね上げる無数の着弾」など、従来の弾着効果ではあまりお目にかかることがなかったイメージ展開に舌を巻く。「手榴弾や砲撃で手足が四散する」カットも爆煙でごまかしたりせず、被弾とその瞬間の肉体破裂をつぶさに描写しているし(レプリカパーツを装着した肢体欠損の俳優が熱演している)、「距離を置いた狙撃手の射撃と、標的の着弾との見事なシンクロ」も、その的確さは尋常ではない。 この手のエフェクトでは、かって『エメラルド・フォレスト』(監督:ジョン・ブアマン)で、射撃されたアマゾン原住民の裸体にブツブツと貫通穴が開く弾着効果に「うへぇ!」と仰天したものだが、そんな驚きも本作を目にしては既に忘却の彼方である。 さらには「アメリカ兵がドイツ軍のトーチカを占拠し、入り口に手榴弾を投げ込んで爆破、それからドイツ兵を燻りだし、出てきたところをサブ・マシンガンで撃つ」などという複雑な空砲作動と弾着効果が、カットの切れ目なくワンシーンで表現されているのだ。だから、いかにも演出しているという「ウソ臭さ」がなく、弾丸飛び交う戦場にそのままキャメラを持ってきたような迫真性を生みだしている。 特殊撮影スーパバイザーとして、戦闘シークェンスの現場指揮をとった【ジョー・コーボールド】は、『遥かなる大地へ』(監督:ロン・ハワード)や『カットスロート・アイランド』(監督:レニー・ハーリン)など、大掛かりな馬車競争や帆船爆破が印象深い作品のフィジカル・エフェクトを担当しているが、今回の苦労はそれらの比ではなかっただろう。 なぜなら、監督のスピルバーグはあらかじめ用意されたストーリーボードにイマジネーションを依存せず、自分の頭の中のプランをもとに現場で即興演出するからである。爆薬や銃火器類などの危険な仕掛けを扱い、綿密な計画性に依存した現場を統括しつつ、天才のパッションをもサポートしなければならない“二律背反”は、コーボールドにとって相当な重圧だったに違いない。 戦闘シーンについては、3DCGなどのディジタル・エフェクトを中心とした幾つかの視覚的イメージ(ティーガー戦車などの兵器類の描写)も検討されたそうだが、やはり最終的に「ライヴの臨場感に勝るものなし」という姿勢が貫かれたようだ。これこそが『プライベート・ライアン』を傑作たらしめた最大の要因と言っても過言ではないだろう。 トクサツ者はこの“フィジカル・エフェクトの底力”に改めて着目し、さらには『プライベート・ライアン』以降の戦争映画に注目せねばなるまい。『プライベート・ライアン』が「映画における戦闘描写の基準値を底上げした」のか、はたまた「スピルバーグだからこそ踏み込むことが出来た表現領域」なのかを見定めるために。 【余談】 スピルバーグはアカデミー賞受賞作『シンドラーのリスト』('93) でも、ゲットー解体によるナチのマンハントを臨場感たっぷりに描いたが、いわゆるストリート・チルドレンから「拳銃で人が撃たれて、あんな倒れ方するワケねぇじゃん」と妙に説得力のあるシビアな批判を受けてしまい、それが『プライベート・ライアン』の残酷描写に拍車をかけたという邪推もチラホラ囁かれている。 「戦争批判」の主題が徹底描写の大義名分でしかない“映画オタク”スピルバーグならではの微笑ましいエピソードだと個人的には思うが・・・。 (ドリー・蛇臼) |