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manga.r.gif大塚英志のおたく社会時評 第三回
あなたは「そっちに行かない」サブ・カルでいられるか
 


 宮崎勤被告の被疑事件の一審判決が目前だ。
この事件が<おたく>の問題だったなんてきっとみんな忘れているに違いない。いつの間にか宮崎事件は<おたく>の問題ではなく<多重人格>の問題にとってかわっている。よくできたものだ。だからこのホームページの主のように堂々と<おたく>を差しさわりのないビジネスにできる。(それはそれでぼくの知ったことではない。勝手にやってくれ)
 だが、繰り返すが、あの時、問われたのは<おたく>と呼ばれる人間たちの有り方だったのだ。彼は<おたく>だから幼女を殺したのではない。だが同時に<おたく>と呼ばれる人々やその感受性の中に、彼の側に崩れていきかねない本質的な何ものかがある。それは避け難い真実だ。



 村上春樹が『アンダーグラウンド』執筆の動機としてこういう意味のことをいっている。自分はあちらこちらからサブ・カルの断片を引用してジャンクを作ってきた。それが自分の方法だ。それはオウムと同じである。ならばいかにすれば自分はオウムと異なるものを作れるのか。
 庵野のバカに聞かせてやりたい、とは言わない。だが、村上の問いは正しい。結果としての『アンダーグラウンド』は不満だが、出発点は正しい。



 <おたく>の問題とはつまりはそういうことだ。あんたもぼくもただのサブ・カルにすぎない。だが、幼女を殺さず、サリンをまかず、サブ・カルであり続けることは可能なのか。
 そこで、サブ・カルをやめて国家とか教科書問題に逃亡するのは反則もいいところである。
 そうではなくて、くり返すが、人はいかにして、幼女を殺さず、サリンをまかないサブ・カルでいられるかを考えること。そっちに行かないサブ・カルたること。



 別に考えたくなければ考えたくなくてもいい。秋だか冬になりそーな「エヴァ」の完結篇をカードでも集めながら待っていればいい。そうやってれば20世紀なんかあっという間に終わるのだから。


 それにしても「エヴァ」のファンときたらどうして黙々と柔順なまでに「エヴァ」商品を買い続けるのだろう? この素直すぎる羊さんと化した新世代の<おたく>についても引っかかるものがあるんだけどね。

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