ed.yamana.gifRe おたく・サブカルで考えていけるのか?
 


 その社会で「正統」「権威」と認められたハイ・カルチャーに対する、大衆娯楽、密かな楽しみとしてのサブ・カルチャー。反体制としてのアングラがどちらに入るべきかは場合によって議論の余地があるんだろうけれど、今の日本において言えば、クラシックとか純文学なんてのが「ハイ」で、マンガやアニメは「サブ」っていうことにはなるんだろう。
 大塚氏の議論も、一応は、そういう仕訳を前提に展開されているのだが、一方でその仕訳そのものが瓦解しつつあることも、また、確かな現実だ。正直、私なんかは、エヴァの世間での受け入れられ方は、かつてのゴダールの「勝手に・・・」やサリンジャーの「ライ麦畑で・・・」と同じようなもんなんじゃないかと思っている。つまり「若者」(90年代の今となっちゃヤな言葉だねぇ)が憧れる反体制チックな「ハイ」カルチャーというやつだ。そして、大島弓子のエピゴーネンたる吉本ばななが、純文学系(ホントカ?)の唯一のヒット作家である現在、こうした成りゆきは必然なんじゃないかとも感じる。だって何かがなきゃいかんだろう。文学があのざまで、日本映画がこのざまじゃ、さ。
 以前、尾崎豊が死んだ時、句会で一緒になった上品なおばあさんに「尾崎豊って、わたしらの少女時代でいえば、太宰みたいなもんなんでしょうね」という感想を聞いたことがある。それだけ、当時の文学というものは、ミーハーで、スキャンダラスで、だからこそ少女たちの心をがっちり掴んでいた。ジャンルが元気であればこそ、金もうけもできれば、「現象」となるような作品も生まれてくるのだ。それは、かつて出版社のドル箱であった文学にしても、また、ヌーヴェルバーグをその懐に抱えながら、一方でプログラム・ピクチャーを量産し、日銭を積み上げていた映画界にしても全く同じことである。

 そうしてアニメの順番が回ってきたわけだ。

 一部の若手思想家が「エヴァ」を有り難がっていることに象徴されるように、今やアニメは、経済的にだけではなく、「ハイ」カルチャーとしても認められ始めている。それは小説や映画が「何時か来た道」でもある。だから、大塚氏が、現代日本のサブカルチャー批判として展開しているこの論は、本来的には、おたくとかサブカルとかいう領域限定の議論として読むべきではなく、現代日本のコンテンポラリーな文化状況総体として考えるべきなのだ。

 で、ジャンクとオウム、という問題になる。いっておくが、アニメだからジャンクで、オタクだからオウムなのではない。コンテンポラリーに多数の人間に影響を与えていく、つまりは「現象」となりうる作品は、安易にシンパシーを得られる要素を散りばめているという点で、悉くジャンクであり、一時的にせよ他の価値観を拭い去るほどの熱狂性をもたらすという意味で、須くオウムである。自己憐憫の快楽に打ちふるえる源が、太宰だろうと、エヴァだろうと、そこに差なんかありゃしないし、「オレだけがわかってる」という特権意識は、ATGの映画からだって、「DEATH編」からだって同じように得られる。緑魔子にセックス感じるのと、アスカでマスターベーションするのとに、「本質的な」違いなんかあるだろうか。
 問題は、そんなことよりも、相対化の契機があるのか、それによって現実の生活との間に回路を持ちうるのか、というところにある。オウムの危険性は、そのチープな継ぎ接ぎの物語性にあるのではなく、洗脳によって相対化が全くなされなくなってしまうこの点にこそ存在する(ついでに言っておけば、だから、オウムの物語のそこここに「三分の理」を見つけだして擁護しようとする姿勢ほど馬鹿らしいものはない)。自己啓発セミナーやワークショップの類も同じだ。大塚氏がいらだつ一つの原因は、エヴァの信者達が、綾波やアスカに取り囲まれ、その快楽の中から外に出てこないように見えることあるのだろう。
 だが、それは、結局のところ、さほど危ういものにはなりえない。宗教やセミナーとは異なり、作品には作品の限界があるからだ。マンガや小説は、ページからふと顔を上げれば、現実の世界に戻ってしまう。芝居も、映画も、所詮は二時間程度の時限装置付きの天国に過ぎない。エヴァンゲリオンのブームにしても、もはや先は見えているのであり、夏の映画公開の後は、祭りの後のような空虚な気分が残るだけだろう。そこには、行き着くところまで行くしかなかったオウムのせっぱ詰まったエネルギーはない。危険と言えば、現世利益を説き、しかも病院という閉鎖空間を擁する「脳内革命」の方が遥かに大きな危険性を有している。
 <おたく>の危うさなど、所詮<おたく>が、趣味の世界、個々バラバラ、しょっちゅう新しいモノに代替されてしまう作品の世界に立脚しているという点において、どうしたって限界があるのだ(無論、メディアのジャンクの中で、リアルに自己や他者の生と死を捉えられなくなっているという問題はある。しかし、これもまた、おたく特有の問題かどうか、一度洗いなおしてみる必要があろう)。

 まぁ、だからといって、批判がなくていいというものでもない。
 でも、この点も、そこそこどうにかなってるんじゃないか? 何せ「マンガ」編集者・大塚英志、「マンガ」評論家・呉智英は、今や論壇を席巻しつつあるわけだし、「マンガ」家・小林よしのりは、誰もが無視できないゴーマニスト思想家だ。
 そしてアニメ界には、王様がでんと控えている。

 ということなわけですよ、ね!?、岡田編集長!!(笑)

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