009-2/10 キョージュ、キョージュ、気を確かに!!
<反オカルト講座 大槻義彦(早大理工学部教授)>(噂の真相 9月号)
第36回 天才ジョセフソンの嘘
「トンデモない本」、「トンデモない科学」を批判するという、自称「とんでも学会」(「と学会」)というのがあるそうだ。このグループはオカルト本をとりあげコテンパンに批判し、さらに反科学、非科学を「ニューサイエンス」と称して出版する単行本を槍玉にあげて徹底的に反論してくれる。
私も、良いグループが旗揚げしてくれたと喜んだし、私が編集長の物理科学雑誌「パリティ」でも、「と学会」のグループに執筆を依頼しようと考えた。しかし、すぐに私は気付いた。このグループは少しおかしいのではないか。オカルト本を声高に批判するように見せて、実のところオカルト肯定なのではないか、と。そうこうしているうちに、突然自宅に「賞」の楯が贈られてきた。宜保愛子と私が、「お金の袋」を奪い合う絵が描いてあった。私が宜保愛子を批判したのは、金儲けのためという皮肉がこめられていた。
そしてついにこのグループはダメおしをするかのように本を出版した。茂木健一郎、竹内薫訳・解説の「B・ジョセフソンの科学は心霊現象をいかにとらえるか」(徳間書店)である。この二人が「と学会」とどんな関係にあるか知らないし、どんな科学者かも知らない(一人は生物物理学者、もう一人は科学哲学者と自称しているが)。・・・(後略)
わはははははははは。
いや、強引きわまる思い込みと無茶苦茶な理論づけで、裏コンノケンイチとしてと学会内部ではいつも笑いを提供してくれている大槻教授(と学会内部での呼称は“キョージュ”)であるが、今回のはちょっとひどい。理論でなく、文章の“論理”で破綻しているからである。ついでに言えば“脈絡”でも。
僅々1ページの短い文章の中で、いくつも破綻があるのでどこから指摘していいか迷ってしまうが、まず第一にキョージュ、と学会は「とんでも学会」ではありません。「と学会」が正式名称であります。批判する相手の名前くらい正確に記したほうがいい。
次に、
》私が編集長の物理科学雑誌「パリティ」でも、「と学会」のグループに執
》筆を依頼しようと考えた。しかし、すぐに私は気付いた。このグループは
》少しおかしいのではないか。
って、「すぐに」気なんかついてない。すでに「パリティ」には、と学会会長である山本弘氏がキョージュのご指名により執筆済である。しかも、2回も! あなた、ご自分が編集長をしている雑誌を読んでないのか?と学会も、サイコップの手先とか、ニャントロ星人の謀略の片棒かつぎとか、いろいろなことを言われている団体であるが、「オカルト肯定派」と疑われたのは初めてだ(確かに、と学会は単純な否定派ではないけれど)。
そして、論理破綻の決定打。
》ついにこのグループはダメおしをするかのように本を出版した。
として、茂木健一郎、竹内薫訳・解説の「B・ジョセフソンの科学は心霊現象をいかにとらえるか」(徳間書店)を挙げておきながら、その数行後に
》この二人が「と学会」とどんな関係にあるか知らない
なんて書いてある。なんでどんな関係があるか知らない人間が書いたものがと学会の出版だと思うんだ?
どうも、この誤解の唯一の原因は、この訳・解説の二人が『トンデモ科学の本』というタイトルの著書を出している、というそれだけにあるらしい。こりゃあなた、“トンデモ”ってえタイトルをパクっただけの便乗本で、中身はオカルト本でしたがな。ひょっとしてキョージュは、と学会が“トンデモ”という単語を商標登録かなんかしてマルCを持っていると思っているんだろうか?もしそうなら、今ごろと学会は大儲けなんだけどねえ(マジにため息)。
どうもこの文章を読むに、キョージュはと学会内部で自分のことが笑われている、と誰かから聞いて、と学会はオカルト肯定団体だ、と思い込んだらしい。キョージュの理論では「自分に反対するものは全てオカルト肯定派」ということになるわけだから(『トンデモ本の世界』ではキョージュと並んで笑われていたのは山田久延彦やドクター中松やあすかあきおなんだけどなあ・・・・・・)。
しかし、キョージュの、あの「科学的」という言葉を水戸黄門の印篭の如く振り回す論理の強引さは、オカルト否定であっても十分にトンデモなのだ。そもそも、「オカルトは科学を超える」と言いつのっている連中に、「それは科学的でない」と言っても、全く否定にならないどころか、それで自説が補強された、と思い込む者も出るのではないか?
とにかく、執筆者のこういうカン違いや、論理破綻に対しては、編集者の方で細かくチェックを入れるべきだと思うんだけど、「噂の真相」はどうもそういう体制はできていないらしい。こういう粗雑な人がオカルト批判の代表とイメージされるってことは、オカルト批判派にとってもマイナスだと思うんだがな。
なお、文中にある「宜保愛子とキョージュが“お金の袋”を奪い合う絵が描いてあった」楯、について一言。以前、『大槻博士の日常生活ふしぎおもしろ科学』(PHP文庫)の内容のトンデモさに対して、「トンデモ本大賞」 の特別賞というのを贈呈したことがある。あのとき、副賞はなにがいいかとかなりもめたのだが、結局、私が紙切りの林家小正楽師匠にお願いして、「宜保愛子がお金の袋を前にしているところに突如あらわれて怒りのこぶしを振り挙げる大槻キョージュ」の切り絵を切ってもらったものを贈ることに決め、額装して送ったことがあった。たぶん、そのことであろう。
説明がなくてもちゃんとご自分と宜保サンである、とわかったのはさすがは小正楽師匠であるが、いくら心にやましいことがあると言っても、まったく逆の意味にとってもらっては困る。
確かキョージュは自著『学校の怪談に挑戦する』(ちくま文庫) で、「心にやましいことがあると物事が違って見えてしまうことがある」
と言ってなかったっけ??
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